【インタビューシリーズ】Vol.11[前編]『田中英義』”大澤NOBUが知らなかった日本人サーファーのセカイ。”
[音楽] そうか出会いはねそんな感じだよねそんな 感じですサーの世界ね超久しぶりにあの 今日はやんですけど 今 の私がずっと憧れてきたファ田中 ですよろしくお願いし ますしよしお願し ますいやあ1回じゃああれいいですか攻撃 が いいれるねますよねなんか今の [拍手] ね やめてよいやもうくださいいやいやの先輩 とか言わないでいどうすか吉君吉君の地元 一宮いや今日は最高の日でしょねこんな 天気良くてオフショアで波もあってやっぱ 持ってるよのぶは持ってましたうんそんな ひさんに言われると嬉しいけどねいやのぶ との撮影本当楽しみにしてたからこういう ですよもういい日になって俺は嬉しいです ねあて嬉しいすこっちでもやっぱノブだ からうんノブですかそんなノブってノブだ よどういうことすかそれいやノブって言っ たら やっぱりサーフィンうくてリックスも良く てみんなからこう親しまれててそんなこと ないいっすよそれこそみんなの憧れのノブ じゃないどうしたすかあれひさんうん 大丈夫ですか大丈夫ですかそんなことない ですいやでも今日は 君のこのま本当小さい時からねこの海で はいあのサーフィンを覚えてねでま自分も ちょっと選手としてはちょっと落ち着い ちゃってるんでうんうんうんま今現役のま なんですか選手としてもやってる秀吉君だ から思うこともたくさんあると思うしま サーフィンていうものに対してもねなんか こう大切にしてることもあると思うんでま ちょっとずつさせていただきたいな もちろんですいや嬉しいですよノブのはい インタビューやっと来たよまいつか来るん じゃないかなってちょっと思ってましたよ そうっすねいやまずはちょっとひさんに まあ今だから聞けることはいま自分が聞き たいことうんま個人的なとこもあるんで そこはちょっと秀吉さんにねはいあの質問 していきたいと思いますやりましょうやり ましょうちょひさんはいもう1発目1発目 なんすけど ええ出会った時というかおおはいえ語って いいの覚えてますか覚えてるよま秀吉君と 初めて会話を交わした会話をしたのかは 明確に覚えてないけどノブを初めて見たの ははいオーストラリアだったんですよあ
そうああオーストラリアのプロジュニアて いうあのオーストラリアのえ20以下だっ たけね以すねかの選手たちがみんな出る 大会があってもすごいトップ選手ばっかり 集まってるもうみんなが知てるようなそれ こそねマットウィルキンソンだったり オーエンライトだったりジュリアンだっ たりもうそういう選手がみんな出てる試合 プロジュニアがあってそこのマンリーで 行れた大会でそうなんですよえま俺1回戦 負けしたんですよそしたらまだ勝ってる 日本人いるえ誰みたいな大沢のって名前え 俺初めて聞いたと思ってでしかも本当に プロジニアで1回勝つだけでもしんどい じゃんそうなんすよ当時はねそう めちゃくちゃしんどかったすよねみんな うまいじゃんはいみんなうまい中でトップ に行くってのはめちゃくちゃハードで そんな中でこの大沢ノブが5位に優勝した のありがとうございますあれはね驚いたや ねあれあれだったんですよあのデビュー戦 だったんすよねそうなんすで俺だって知ら ないんだよ王さんの武って誰ってなってて ですよねそうだ俺もそう思ってたんすよ やっぱ自分はもうすでに名前うんそうあっ たしもうすでにプロの試合優勝してたから やっぱその悔しさもあったわけですよ いきなりパってきた日本人にこう先行かれ ちゃうっていうでもなんかなんかすごい そこまで勝ったっていうところでなんか 持ってるやつなんだろうなってのはもう そん時思っててああそう で確かね負けたヒートママンだったよね 負けたヒートママンママンで プライオリティルール分かんなかったんだ よねそうあれプライオリティルールうんを まだ経験してない段階だったこれそうそう だからインターフェアして負けちゃって別 にサーフィンで負けたわけじゃなかったん だよ時そうよ覚えてるっすねいやすげえ 覚えてんのさすがうわプライオリティ わかんなかったんだあいつとか思そうそれ が出会いだなおさんで話したっけなんか 話したい俺がうんえっと秀吉君と初めて 会話買わした時はうんマンリーでのその その大会で自分とあとホストファミリーの お母さんが会場にああなんかたかもうん 自分のコール名前のコールがなんか王子が 読むとあの野焼き おしおしみたいな感じで言うからその お母さんが違うって言ってチマーシャルに ちゃんと名前言えみたいな感じで言いに 行った時に秀吉君があのマンリーのアロ ファってショップのあはいはいえっと オーナーさんあじゃあ店長さんすか日本人
日本人のかずさんあかずさんねうんと ビーチのまんまの草村で座っててそれで 初めてたまたまあったんですうんそこでま 俺が挨拶してうんああの勝ってんじゃん みたいな感じでマジ言そうだね言われて うんうんそうそれが最初秀吉君と会った 瞬間だったんですけど俺はまもちろん知っ てましたよひし君はもちろん夢だったんで そううんああの田中秀吉選手だみたいな やべえあっちゃったみたいな思ってるいや いやいやいやそうそうえそっかでもでも なんか俺も喋った記憶があるあるのはその 時だったか忘れたけどすでに あの年で多分まだ17歳とか16歳だった よねはいそうそうもうバイトしてるとかど やってきたとかっていうのをなんか本ノブ から聞いてはいはいそれでお金貯めてきた みたいなうんうんいやすげえガッツあるわ と思ってその根性ぜすごいんだろうなって いうのはすごい思ってたい自分もあの秀吉 君会った時にもうすでにノートとエンピ 持ってたんですよ俺がそうへそのかずさん とま座ってる時にうんま挨拶してなんか 持ってるなと思った時にノートと鉛筆持っ て多分試合のこととかうん英語とかその 勉強してるみたいなことを教えてくれたん ですあ俺がはいへえで俺も勉強しようと 思ったんですけどあの学習能力なかったん であのそれ見てあと思ってなんかやってる みたいなそれちょっと真似したりとかして てあ本そうそうまそれがその頃が大体あっ た時期すよねそうか1678ぐらいその間 すよねまあ確かになんか最近家の片付けし てたんだけどたくさんノートとかなんか 色々書いてあるのがいっぱい出てきて試合 のことだったり英語だったりうんうんうん うんでもほらコーチングとかやってるけど 選手たちにもすごい言ってて紙に書くこと の大切さとかこれ見たいなめちゃくちゃ地 汚くて見せれないいやいやいやいや あきっかけですねサーフィンを始めた きっかけこの海きっかけはい大東っていう ポイントがあるんですけど一番この九十の 南南1番南ですね大東ポイントはいにうち の父親がはい会社とクラブハウスを経営し ててでそこのクラブハウスによく遊びに 行っててえそこに高校生のお兄さんたちが サーフィンいっぱいしに来ててでその お兄さん達遊んでる流れでえま海にいつも いてあのある日ま自然な流れでちょっと 乗ってみるかみたいな感じで確か父親だっ たかな父親かえおじさんかうんにこせられ て始めたのがきっかけでえでもう1本目 から立ててそうりのこう押してもらったら うりで立てるじゃん子供だからロング
ボードではいはいはいうんうんであれで バーって乗って気持ちいいなって思って 好きになっちゃって始めましたえその当時 はひ川何歳だったんですか9歳です9歳 9歳でえっとま夏とかでこう海遊びしよう みたいなあそうそうそうそうサフ始めた日 になんかこう波乗りってあこんなんなんだ みたいなその心境というか色スポーツやっ てきたんですけどサッカーとか空手とか うんはいはいはいますごい運動神経良くて うんサーフィン は波乗った時にめちゃくちゃ気持ちいいな と思ったのうわってなんて言うのかなこ なんかいに乗ってる感覚うんうんでやっぱ 子供だからさ軽いじゃんうにポンってやれ ば最後までのぎってざ後立ってればずっと 乗れてうんうんやっぱサインてさちょっと 抵抗オフしてスープライドだだとそんな まだ楽しさってわかんないじゃんうりから 乗って長く乗れた時にうん体感できるわけ じゃないですかそれを多分1本目から行け ちゃったの子供だからはいはいそれで知っ ちゃったんすよさィて振り返るとやっぱ そこが始まりじゃないですかその 感覚っってすごくいつまでも残ってると 思うんですよ残ってるね未だにねま未だに やってると思うんでうんでもさはいやっぱ こうプロとかになって選手とかになってき てサーフィン自体がその遊びではなくてえ 練習ってなってくるとそういう感覚薄れて きたりしませんかそっすねね結構なんか1 年中 こう追われてるような気持ちに自分と戦っ てるようなね安らげないですよねなかなか だからねそういう気持ちをこう思い出して サーフィにするってのも大事ですよねいや めちゃくちゃ大事だと思うねそうそうこう やってやてから暗かったんじゃないもいや 変わんない 変わんはいなんかこっちの方がいい気がす んだよなまいっかでいつもこっちだもんね 客がねそうなんす ようん [音楽] 世界見据えたのは はいいやもう子供だったすね本当小学生高 学年ぐらいからもうその世界のサーファー を目指してたからそれこそアンディ アイアンズとかクリスワードが大好きだっ たんでうわま彼らみたいなサーファーなり たいなとかってのはもう思ってたすうん なんかあれすもんね一宮とかでも昔SPの 世界大会もあったっすよね小学あったあっ たあったあったねトラミでうんまだトラミ ビーチが車入れる時代ですねはいはいはい
はいあった丸いプロやってもうそこでも アンディを見たしうんま小学校えまあ高 学年ぐらいの時期 にやっぱその世界のサーファーをそのの 子供の頃に見た時がやっぱ衝撃だったん ですかまその試合とか見て うんなんかね俺はサーフィンをうまい下と かってあんまり見てなくて自分がかっこ いいなとかこういうサービにしたいとか その好き嫌い嫌いまでは言わないけど好き で選んでるんですね見るサーファーをはい でアンディアイアンズのスタイル見た時に すごい芸術的だなと思ったんです子供 ながらにうんこんな柔らかくて綺麗な サーフィンしてみたいなでもクリード みたいになんだろうそんなスタイル綺麗 じゃないけどすごいワイルドにも表現 できるサーファーも魅力的だなと思ってて ああなんかそれをもう子供の時から思って てスタイルにはすごい気を使ってたんです ようんなサーファーにみたいになりたいだ から彼でそのサーファーたちがが世界の もうトップだったから世界のサファンに なりたいって思ったんじゃないかなああ はいじゃあもうその時からやっぱ世界を見 てたっていうのはま当時からしたら めちゃくちゃ早い段階ですま見据えてたん だろうなと思うんですよええま子供も言っ ても多かったけどまだ湘南とかなんか全然 自分たちとかしかいなかったしもうやっぱ そういうやっぱ気きっていうかまこういう 選手になりたいとかまここういうスタイル を取得したいとか今若い子たちもそうだと 思うんですけどやっぱそうやってうまい さんを見るっていうのは本当に大事ですよ ね分もちろん大事じゃないですかああ やっぱサーフィンってイメージだと思うん でうんやっぱそのサーフィンの映像を見て うんえイメージを作って練習するってのは ま子供の時は本能的にやってましたよね僕 らの時代ってもちろんサーファーのコーチ とかいなかったしみんな自分で研究してや るっていうのが当たり前だからなかうん なんか独自のその感性というかなんかそう いううんなんだろう見たものを取り入れる みたいなねそうそうそうそううんいや それってすごい大事だと思うんすよ俺も 未だにそれって大事じゃないですか絶対 そうですよねま自分としてはですよ秀吉君 は世界を見てたと思うし自分も好きな選手 はいたんですけど田中秀ってもうその時点 で俺からしたらすでに知ってて雲の上の 存在だったんで自分がだから子供の時に見 た同世代の スーパースター田中秀吉なんかやこ
てんやめてよやばいよこちゃん大げさなん だもんブ大動画用にさそんなさにしないで 本当いやそんなことないです本身じゃ ありがとうございますはいえワールド ジュニアもう懐かしいワールドジュニアの ママあはいはいはいやりましたねやりまし たよねますか覚えてる覚えてるそうあの時 うん秀吉君とまさかママでやるとはいうま 自分中では想像もしてなかったんですけど はいあのヒート結構あれでしたよね日本人 対決でひさんバチバチになんかこうオーラ 放ってたのを覚えてるんですけど いややっぱりあの年にはいえ自分はグラン チャンピオン取ってでQSも千葉で行われ たあの wqs3スター今で3000グレードかな うんもうやっぱプロジュニアとW賞とかし たりしててしてたっすねやっぱりね同じ 日本人には負けられないっていうプライド がすごかったんですよああ伝わりましたよ だいぶうんもうだから背負ってたよそう いうのはうんうんそういうのはすごく 背負ってたはいはいでもなんか背負いすぎ てて疲れて たすでに背負いすぎてたよ本当にいやでも ねあの俺はすごく光栄だったというかあの 時期にグランドチャンピオンになってたん ですかあの年だねあの年になってグラチン になってのワールドジュニアだから最強 じゃないですかそう負けらんないってのは やっぱあったよけど俺は国内の試合の事情 を知らなかったんでうんだからなんかこの 田中秀市っていうサーファーすごい サーファーと2人で海の中に入って試合を するってこがすっごい暑いこと でまさかこんな時が来たんだなっていう この自分に褒めたいというかはい逆にいや なんからそうやって思ってもらえたのは すごく嬉しいそうだけどのぶはそういう 気持ちを持ってやってくれたかもしんない けど俺はそういう新鮮な気持ちとかピュア なナチュラルな気持ちとかも感じられない ぐらいうんこう なんか何かを背負ってた気がするいやだ からあまり うん楽しかったかって言われ たらそういう記憶だねああそう結構その 仕事っていうなんかやらないといけなら やらなければなら ないことみたいなのが強かった気がします ね うんいやそれはねうん俺は一緒にヒトして 番思った時 は最後の多分5分切ったぐらいの時の秀吉 君のマークが自分のの前に来たんですよ
うん自分の前に来た時にゼッケンネットで ビラボンこうボンと買ってその背中がでか すぎ てさみたいなどうやったらここから打破し てこの人を任せんだみたいなもうとにかく これはもう大自分にとってはビッグ チャンスじゃないですか田中秀吉が目の前 にでも今とてつもなく不利な状況に犯され てるみたいないやもうあのね背中のでかさ をね痛感させられたヒットだったんで 本当でもやっぱそういう風に聞くと試合 ってすごくなんかこう深いっすよね それぞれの思いとかなんかそういうのを 背負ってやってたってのはなんか秀よし らしいなという かはいはいいやいや俺はなんかそんなとこ 好きなんすああ本当すかそういうにできた ことが祈願だったんでいなんかそうやって 言ってもらえると今ちょっとこうはい肩の 荷が降りると言いますかでもなんか本来の うんやっぱいい状況状態っていうのは やっぱその飲むの飲むみたいな精神状態と いうかもっと こう試合を全身で楽しめると かねこうワクワクした気持ちで挑みたいっ てのはやっぱ本心ではあるからうんうん やっぱそういう気持ちもちゃんと に持って試合をしたいですよねうんもう今 まさになんか秀吉君の第2章を見せて もらってるようなへえいや選手としても 貫禄というかその経験してきた背景が 見えるというかでもなんかそこにすごい昔 と違って田中秀吉っていうサーファーが そこに現れてるような本当ですか気がする んですよいや自分のことをあんまりこう 客観視できないじゃないですかだからなん かこうやって言ってもらえと自己確認でき てるみたいでなんかありがたいですけど 我々大沢県もそうですけど田中秀吉応援団 いっぱいいますからマジすかはいえ本当に 勝ち負けは大事ですけど我々からしたらか 負けるってよりかはそこに挑んで るってことがなんかすげえかっこいいなと いうか動世代の選手がねそういう姿勢で 試合に望んでるってのはすごく励みにな るっていうか逆になんで今この試合は出 ないんですかいやそれはもうひさんにもう そあれですたですよね叫んだよいや飲む いいサーミしてるじゃんだうんなんで出 ないのかなと思ってそれはあの自分のこと はいいのでこれ雑談ここで切りますけど 雑談でいいですかはいいいよ雑談じゃなく てメインできたいんですけど本当はええな んすかあの切らないでもらっていいですか はい切ってまはいいやあのええこれも今
終わったんであれですけど実際 あの 俺海外戻ってこようと思って別にQSやめ てJPSAでまた試合をやろうっていう 考えじゃなくてもよかったわけじゃない ですかその海外を要はま挫折っていう形に なっちゃかもしれないですけどなんだかの 形で目標は続いてるんだけどまJPSAの プロのこの国内ツアーになぜあえて参戦し ようって決意を持てたのはやっぱり田中秀 師だったんですよねあの人を絶対に任して ねはいそれが悲願っていう怖い怖いわ怖い わ 年それがこれこれを流すかわかんないけど うん茨城の自分が優勝した30歳の時に 優勝した5年前か試合のママの時が重なる 絵になったんすあ茨優勝したんだっけ俺で 優勝したんすえどこだっけお笑いお笑い5 年前5年前秀吉君とママやってんですよえ やったやったじゃないです かめっちゃじゃええっとだから セミファイナルかなんかですここまで勝っ てった俺もちろんもちろん勝ってますや 記憶がこれ ごめごめん記憶に飛んじゃった気に負けた の 俺あ都合の悪いとかや俺1回負けてないと 思ってたいやいや勝ってますからごめん ごめんごめん勝ってますからあじゃあ達成 したってことあの時にママネの試合はあれ がその時だこれ一番言いたかったやつだ本 にちょっと待って待って待って言たかった のごめんだのぶが2番誰川又斗川又カト2 番はいあの時俺ママまで行ったいや もちろん あもしかして俺ケトとやったやつじゃない 俺がセファイナルあクターファイナル ぐらいあそうそうあん時のやって俺負けた んだそうです俺記憶がなくなっちゃったの そこは大事すからごめんごめんマジでケト に勝った後次誰に負けたんだっけなて ずっと思ってたのあマジすかひどいね俺 いや俺ねめちゃくちゃ言いたかったの俺が ねこんだけの長い時間をかけて秀吉君と のんなのが歳そうだったんだだ10年越し ぐらいなんじゃねえかみたいなでもそっか のが優勝してくれてよかったそうなんだ からそこまで秀吉君を求めてきたんですよ それでじゃあ最近試てないんだ勝ち逃げ だそう意味じゃないこれ使って使って 勝ち逃げしてるやついるよちゃうちゃ ちゃうちゃ ちゃうはいでもねそれはねすごい エネルギーなったんで はいおめでとうございましたいありがとう
ござおめでとうございましたありがとう ございましたおめでとうございましたそう かやりました俺本当に純粋にノブがさ忘れ ちゃってたそうなんすよそっかそれぐらい 田中秀吉を追っかけてきた男日本で1番 追っかけてきた男です怖えな怖えなちなみ に日本に来た時に誰 1人勝ちたいとかなかったんすうん誰こう 目標ってなかった JPSのチャンピオンはまあ1回取りまし たけどそれが目的じゃなこの期間でやって きたのは田中秀吉をままで 任すこれが俺の悲願だたそうだったんだ そうすうわなんかそこまで熱い思いを持っ てやってくれたんだったらそうなんすよだ からなんか知らなかったしっかり見てきた んですよ私はま一応後輩なんでそうかそう いう関係性は一方的ですけどすごくあの俺 は大事にしてきたででもう田中秀っていう 日本の選手が世界にいた あの田中秀がJPSに出てるから俺は JPSAのツアに参戦したんですもうそれ だけですなるほどはいやっと言えたわで 良かった負けましたあの時は よっしゃ よっしゃあちゃんとがちゃんとにあり ちゃんと認め ます [音楽] あ
“大澤NOBUが知らなかった日本人サーファーのセカイ。”
Vol.11
今回のゲストに、
当時(2007年頃) WCTへの登竜門として世界中のジュニアサーファー達がオーストラリア国内Proジュニアツアーに積極的に参戦していた。ツアーのトップ10以内にいる選手達は、ほとんどの選手がWCTクオリファイ(世界最高峰ツアー)するという流れが世界的に知られていた事から、
強豪揃いが集結する
(ジョディ・ジュリアン・コルボーン・オーエン・デスーザ ・ダスティー・セバスチャン等々)中で、一早く日本人サーファーとして国内に問わず世界中にその名を広めていた唯一の日本人 SURFER であり、日本国内プロツアー2度のチャンピオンの称号を持つ日本が誇る田中英義選手にゲストとしてお越し頂きました。
数年前まで自分達は、同じサーフィン競技の舞台で勝敗を駆け引きする者同士であった。
私にとっては、日本人のSURFERで一番ライバル視して来た選手と言っても過言でない
Proジュニアツアー時代でも、田中英義のヒートは必ず意識的に見ていた事を思い出すが
その試合に対する勝負強さは、日本中のサーファーや海外の選手も皆知るっていたはず。
試合に向かうその闘志は、田中英義という一人のサーファーを知らざる追えない程の存在感を
光放っていたと私には映っていた。
サーフィンを愛する情熱は、好きなだけでは得られない学びもある。
自分との挑戦に向き合う様々な壁をを知り、乗り越えて来たサーファーだからこそ、深く波乗りのその楽しに気づきがあるのだと感じる。
今だからこそ言える、お互いの本音話に触れた貴重な時間を過ごした..
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