123 目録 夏之部 1= もくろく なつのぶ 2 Catalogue Summer Session 2.

私の大好きな安藤広元を描いた名所井戸百 系その場面が今どうなっているのか実際に その場所を尋ねて新旧を見比べてもらって きましたこの目録では119系のひしの 作品を季節ごとに まとめ昔と今の景色だけをダイジェストで 紹介しています その4回目は夏の部の2として58系から 72系までを紹介していき ます 058大橋あの 夕立ち現在よりやや下流にかかっていた 江戸時代の新大橋 を南側上空から見た絵 です黒雲から突然降り始めて夕立ちに右王 さしている市民を描いてい ます現在では立派な4車線の鉄橋になって いて歩道も入れると当時の倍以上になって い ます当時対岸には 軍丸が停泊していたのでこの辺り一体をあ と呼んでいまし [音楽] た両国橋とその手前で陥落街となっていた 大川端の日地を日本橋側から見た絵です 当初大橋と呼ばれていた橋 は武蔵の国と下の国にまがっていたので その後両国橋と呼ばれまし た現在では隅田川も拡張され両国側には 川沿いに首都梗塞も通っていて景色は様に してい ます広の図に合わせたからの写真も一緒に ご覧 [音楽] ください 060浅草川 大川端 [音楽] 宮川浅草川とか宮川とかとも呼ばれていた 住川を両国橋の上から見た絵です 左側の橋の上と右下の船には大山モデに 向かうたくさんの産経者と梵天が描かれて い ます当時大山モデに行く前 に両国橋東詰で水ごりを取るのが習わし でし た今では鉄の橋となった で川に入ろうなどと思う人は誰もおら ずその先につくばさんも見ることができ ませ [音楽] ん 061浅草川守備の末 おが今のの少し火にはおがの私が ありその倉前側の私場には川に突き出た 立派なマがありまし た吉原に向かう客が相談してから行った ことでその末が守備の末と呼ばれていまし た今松は なくなり隅田川両岸が隅田川テラスという 有歩道になってい [音楽] ます写真で少し先に見えているのが倉橋 でその先が馬橋 [音楽] です 062駒形道 [音楽] 東橋住川の羽が駒形橋下流には戦争寺の 観音様が発見された場所として駒形道と いう道具がありまし た空には小物屋の赤い看板とほと ギス左に小道その先に 東橋対岸の本所の街並が描かれてい ます今駒は駒形橋の上流側に 移り東橋が近くなりまし た写真の向こう側には東京 スカイツリーー朝日ビール本社と住田区 役所をはめ込んでい ます 063綾瀬川 金西から千住大橋を過ぎた住川はここで 大きく南に曲がって綾瀬川と合流 しそこを金淵と呼んでいまし たいを操る先王の先に見える小さな橋が 合流地点の綾瀬川 [音楽] です今でものカーブは変わら ず綾瀬川の先は大きくなった荒川に続いて いてそれに沿って首都高速6号線が堀切り ジャンクションに向かって走ってい ますのどかな雰囲気は一変しています [音楽] 064堀切の花 勝負堀切りは綾瀬川と隅田川が合流する 湿地代で江戸時代以前からその環境を利用 して花勝負の栽培が盛んで広しの頃には 江戸有数の観光地となっていまし た現在の堀切勝部園は明治以降に開演した ものを1959年に東京都が購入し活資格 が管理してい ます後ろの高速道路を広しの絵らしく隠し てみまし た 065カド展示経済 江戸で1番大きな天人様として知られてい たカド天人の藤の花太鼓ばしシジを一緒に 描いたもの です今では橋が赤く塗られてより一層 華やかです が富の季節は歩けないほど大混雑して しまい ます場所によっては車線の後ろに東京 スカイツリーを望むこともでき [音楽] ます 066500楽間サザ 道現在の西大島駅の北側にあった小漢字を 描いたものです 螺旋場に建てられたサザ道は高さが10m 以上あっ て参拝 と遠方までの景色を両方拝めることで人気 でし た現在 はラカン寺もサザ道も なくなり目黒から移転してきたお寺が裸状 な乗っています が江戸時代とは全く違うお寺さんです [音楽] 067逆さの 私今の首高速小松川線に沿って立川が流れ ていてその北側に桜街道がありまし たその2つが中川にぶつかるところに逆さ の私がありそこを北側から俯瞰で描いたの がこの絵 です今では逆さ橋となりその上を首都高速 が 大きくかぶさってい ます橋の向こう側に見えているのは元科学 工場を再開発した小松川のマンション軍 です [音楽] 068深川八幡山開き 隅田川を超えた東側最大の神社が深川8万 と呼ばれた富岡八幡宮でし たそこを管理していた体児は 大きな庭を 持ち工房大子の明日の3月21日から一般 公開され山開きと呼ばれて筒や桜が先乱れ 大際だったよう です現在その場所は高速道路の南側の深川 公園となって おり見事なほど庭のおかは全くあり 奥の建物は成田さん東京別院深川不道 [音楽] です 069深川33 元道深川富岡八幡宮の東側には京都の33 道て作られ た術鍛錬の施設がありまし た約120mの長さの建物でその後ろの 平宮側と茶屋などを一緒に描いてい ます現在ではどこにこの施設があったのか 分からない状態 で奥の細長い建物がその場所ではないかと 言われてい [音楽] ます 070 中川手前が隅田川から来る 小川奥に流れるのが新川で浦安方面に 常川から右に流れるのが旧中川で江戸まへ 出 ますここ長川はそんな水上交通の幼少 で絵の左側に水番所がありまし た今ではこの先に大きな荒川が流れている の で新川は土手でで止め られ大島小松川公園と車道と夕歩道になっ てい ます 071常川バラバラ 松現在の 土川今の旧江戸川にはバラバラ松という 場所があっ てそこで漁師が名物の恋を捕まえるために とを打っている風景 ですしかしその場所は特定されておら ず現在 の浦安市堀江町ありの景色にとをはめ込ん でみました 海鳥川が多摩川に合流する辺りから多摩川 下流の海方向を見た絵 です絵の左側に見えている羽田弁財店は 現在多摩川弁財店として上流に移転してい てその場所には戦後の軍の接で移転を余儀 なくされた旧穴稲のオートリーが平和と 書かれた変革を掲げて立ってい [音楽] ますH [音楽]

https://www.axera.co.jp/edo100/index.html
安藤広重が江戸時代に描いた浮世絵シリーズ、
名所江戸百景、その舞台となった場所は、
今、実際どうなっているのか、訪ねてみました。
Ukiyo-e series drawn by Hiroshige Ando in the Edo period,
100 Famous Views of Edo, the place where it was set
I asked him what was actually happening now.
Click here for English version.
https://www.axera.co.jp/edo100views/index.html

私の大好きな、安藤広重の描いた名所江戸百景、その場面が今どうなっているのか、実際にその場所を訪ねて、新旧を見比べてもらってきました。
この目録では、119景の広重の作品を、季節ごとにまとめ、昔と今の景色だけをダイジェストで紹介していきます。
その四回目は夏之部の2として、58景から72景までを紹介していきます。

058
大はしあたけの夕立
=おおはしあたけのゆうだち
Sudden Shower over Shin-Ohashi Bridge and Atake.
中央区日本橋浜町二丁目あたり

現在よりやや下流に架かっていた、江戸時代の新大橋を、南側上空から見た画です。黒雲から突然降りはじめた夕立に、右往左往している市民が描かれています。現在では立派な四車線の鉄橋になっていて、歩道も入れると当時の倍以上になっています。当時対岸には、軍船安宅丸が停泊していたので、あたり一帯を「あたけ」と呼んでいました。

059
両国橋大川ばた
=りょうごくばしおおかわばた
Ryogokubashi Bridge and Okawabata Riverbank.
中央区東日本橋二丁目あたり

両国橋と、その手前で歓楽街となっていた大川端の火除け地を、日本橋側から見た画です。最初、大橋と呼ばれていた橋は、武蔵国と下総国にまたがっていたので、その後両国橋と呼ばれました。現在では、隅田川も拡張され、両国側には川沿いに首都高速も通っていて、景色は様変わりしています。広重の構図に合わせた、上空からの写真も一緒にご覧ください。

060
浅草川大川端宮戸川
=あさくさがわおおかわばたみやとがわ
Asakusagawa River Okawabata Riverbank and Miyatogawa River.
墨田区両国一丁目あたり

浅草川とか宮戸川とかとも呼ばれていた隅田川を、両国橋の上から見た画です。左側の橋の上と右下の舟には、大山詣に向かうたくさんの参詣者と梵天が描かれています。当時、大山詣に行く前に、両国橋東側で、水垢離を取るのが習わしでした。今では鉄の橋となった両国橋で、川に入ろうなどと思う人は誰もおらず、その先の筑波山も見ることができません。

061
浅草川首尾の松御厩河岸
=あさくさがわしゅびのまつおんまやがし
Asakusagawa River and Pine of Success at Onmayagashi Embankment.
台東区蔵前一丁目あたり

今の蔵前橋の少し下流には、御厩河岸の渡しがあり、その蔵前側の渡し場には川に突き出た立派な松がありました。吉原に向かう客が、相談してから行ったことで、その松が首尾の松と呼ばれていました。今、松はなくなり、隅田川両岸が隅田川テラスという遊歩道になっています。写真で、少し先に見えているのが蔵前橋で、その先が厩橋です。

062
駒形堂吾嬬橋
=こまがたどうあずまばし
Komagatado Hall and Azumabashi Bridge.
台東区雷門一丁目あたり

隅田川の右岸、駒形橋下流には、浅草寺の観音様が発見された場所として、駒形堂という堂宇がありました。空には、小間物屋の赤い看板とほととぎす、左にお堂、その先に吾妻橋、対岸の本所の街並みが描かれています。今、駒形堂は駒形橋の上流側に移り、吾妻橋が近くなりました。写真の向こう側には東京スカイツリー、アサヒビール本社と墨田区役所をはめ込んでいます。

063
綾瀬川鐘か淵
=あやせがわかねがふち
Ayasegawa River and Kanegafuchi Pool.
墨田区墨田五丁目あたり

西から千住大橋を過ぎた隅田川は、ここで大きく南に曲がって綾瀬川と合流し、そこを鐘ヶ淵と呼んでました。筏を操る船頭の先に見える小さな橋が合流地点の綾瀬川です。今でも隅田川のカーブは変わらず、綾瀬川の先は、大きくなった荒川に続いていて、それに沿って、首都高速6号線が堀切ジャンクションに向かって走っています。のどかな雰囲気は一変しています。

064
堀切の花菖蒲
=ほりきりのはなしょうぶ
Horikiri Iris Garden.
葛飾区堀切二丁目あたり

堀切は、綾瀬川と隅田川が合流する湿地帯で、江戸時代以前からその環境を利用して、花菖蒲の栽培が盛んで、広重の頃には江戸有数の観光地となっていました。現在の堀切菖蒲園は、明治以降に開園したものを1959年に東京都が購入し、葛飾区が管理しています。後ろの高速道路を、広重の画らしく隠してみました。

065
亀戸天神境内
=かめいどてんじんけいだい
Inside Kameido Tenjin Shrine.
江東区亀戸三丁目あたり

江戸で一番大きな天神様として知られていた亀戸天神の、藤の花、太鼓橋、心字池を一緒に描いたものです。今では橋が赤く塗られて、より一層華やかですが、藤の季節は歩けないほど大混雑してしまいます。場所によっては、社殿の後ろに東京スカイツリーを望むこともできます。

066
五百羅漢さざゑ堂
=ごひゃくらかんさざえどう
Spiral Hall in Gohyaku-Rakan Temple.
江東区大島三丁目あたり

現在の西大島駅の北側にあった五百羅漢寺を描いたものです。螺旋状に建てられたさざえ堂は高さが10メートル以上あって、参拝と遠方までの景色が両方拝めることで人気でした。現在は、羅漢寺もさざえ堂もなくなり、目黒から移転してきたお寺が、羅漢寺を名乗っていますが、江戸時代とは全く別のお寺さんです

067
逆井のわたし
=さかさいのわたし
Sakasai Ferry.
江東区亀戸九丁目あたり

今の首都高速小松川線に沿って、竪川が流れていて、その北側に佐倉街道がありました。その二つが、中川にぶつかるところに逆井の渡しがあり、そこを北側から俯瞰で描いたのがこの画です。今では、逆井橋となりその上を高速道路が大きく被さっています。橋の向こう側に見えているのは、元化学工場を再開発した小松川のマンション群です。

068
深川八まん山ひらき
=ふかがわはちまんやまびらき
Open Garden at the Fukagawa Hachiman shrine.
江東区富岡一丁目あたり

隅田川を越えた東側最大の神社が、深川八まんと呼ばれた富岡八幡宮でした。そこを管理していた永代寺の大きな庭は、弘法大師の命日の3月21日から一般開放され、山開きと呼ばれて、つつじや桜が咲き乱れ、大賑わいだったようです。現在、その場所は、高速道路南側の深川公園となっており、見事なほど、庭の面影は全くありません。奥の建物は、成田山東京別院、深川不動です。

069
深川三十三間堂
=ふかがわさんじゅうさんげんどう
Fukagawa Sanjusangendo Hall.
江東区富岡一丁目あたり

深川富岡八幡宮の東側には、京都の三十三間堂を模して作られた、弓術鍛錬の施設がありました。約120mの長さの建物で、その後ろの平久川と茶屋などを一緒に描いています。現在では、どこにこの施設があったのかわからない状態で、奥の細長い建物がその場所ではないかと思われます。

070
中川口
=なかがわぐち
Nakagawa River Mouth.
江東区大島八丁目あたり

手前が隅田川から来る小名木川、奥に流れるのが新川で浦安方面に、利根川から右に流れるのが旧中川で江戸湾へ出ます。ここ中川口はそんな水上交通の要衝で、左側に水番所がありました。今ではこの先に大きな荒川が流れているので、新川は土手で止められ、大島小松川公園と車道と遊歩道になっています。

071
利根川ばらばら松
=とねがわばらばらまつ
Scattered Pines on the Tonegawa River.
浦安市堀江町あたり

当時の利根川、今の旧江戸川には、ばらばら松という場所があって、そこで漁師が、名物の鯉を捕まえるため投網を打っている風景です。しかし、その場所は特定されておらず、現在の浦安市堀江町あたりの景色に、投網ををはめ込んでみました。

072
はねたのわたし辨天の社
=はねだのわたしべんてんのやしろ
Haneda Ferry and Benten Shrine.
大田区羽田六丁目あたり

海老取川が多摩川に合流するあたりから、多摩川下流の海方面を見た画です。画の左に見えている羽田弁財天は、現在玉川弁才天として上流に移転していて、その場所には、戦後のアメリカ軍の接収で移転を余儀なくされた、旧穴守稲荷の大鳥居が「平和」と書かれた扁額を掲げて建っています。

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