3Dバーチャルツアー旧永山武四郎邸より解説動画をご紹介します。

陸軍中将 永山武四郎
永山武四郎邸は、明治初期における北海道の和洋折衷・上流住宅の好例であり、日本の近代住宅史を考える上でも高い文化的価値を有しています。(北海道指定有形文化財)

ときは1837年。大英帝国ではビクトリア女王が第6代女王と初代インド皇帝として即位し、我が国では徳川家慶が第12代征夷大将軍に就任したこの年、永山武四郎は鹿児島にて薩摩藩士の家に生を受けます。
同じ年、浦賀沖では英国船モリソン号事件が発生。西欧列強の東アジア進出の波が次第に高まりばじめた時代でした。

幕末の日本では大政奉還がおこなわれ、德川軍と薩長連合軍が内戦へと突入。永山武四郎(31)も 薩摩藩二番隊小頭 として鳥羽・伏見の戦、奥羽攻略に参戦しました。

明治4年 永山は ロシアの東方進出を憂え、身を以て北方経営に当たらんと考え、志願して開拓使出仕に応じ、北海道に赴きました。

1873年(明治6年)北海道開拓次官 黒田清隆の下で、右大臣岩倉具視に提出された屯田兵創設における建白書には、永山武四郎、時任為基、安田定則、永山弥一郎がともに連名。その後屯田兵制度の法律が整備され、1875年(明治8)には屯田兵村がスタートします。

黒田清隆が第二代 内閣総理大臣に就任した年、
永山武四郎(51)も第二代北海道庁長官に就任。屯田兵の大幅増強と制度的改革を計画。永山は、上川盆地(旭川)を中心に部隊を設置すると、北海道全域の防衛網と開拓のスピードは一気に加速しました。

やがて屯田兵は陸軍第七師団に踏襲されその役割を終えてゆきます。しかしロシア帝国の勢力拡大の脅威が止むことはなく、永山武四郎(68)が永眠したその年、日本はいよいよロシアとの戦争へと踏み込んでゆくことになるのです。

永山武四郎は、旭川市にある永山神社で今も日本の守護神として配祀されています。

永山武四郎
陸軍中将 男爵 勲一等 従二位
明治三十七年五月二十七日没 
享年六十八歳 
同年六月 遺言にて札幌で埋葬

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