八方除の守護神、霊験あらたかな相模の社:寒川神社(Samukawa Shrine | The Shrine is famous as a guardian deity of Happo-yoke)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 二之鳥居、社号碑
0:38 三之鳥居周辺
1:24 参道
2:11 手水舎、狛犬
2:58 神門
3:27 寒川神社社殿
4:41 南門周辺
5:31 馬場
5:48 末社・宮山神社
6:42 神嶽山神苑

※本動画は数年前に掲載した寒川神社の動画のリメイク版です。約5年かけて撮影した動画素材を元に編集しているため、現在では見られない光景も含まれていること、ご了承下さい。

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は神奈川県寒川町に鎮座する寒川神社(さむかわじんじゃ)を紹介します。

大山に始まる丹沢山系と相模川の豊かな流れを西方に臨み、黒潮の暖流が寄せる湘南の海際、神奈川県寒川町。「相模の古社」として広く知られる寒川神社は、この町の宮山に鎮座しています。古くは、相模湾が深く入り込んでおり、鎮座地は相模の河口を扼する位置に当たっていました。

また、社名にもある寒川という言葉は島根県の簸川(ひのかわ)のように清らかな河川を表現するとされています。簸川(現・斐伊川)は出雲大社が鎮座する島根県の大川で、鳥上山(現・船通山)を源流とする母なる河川。同様に寒川神社の地を流れるのが相模川。相模川は寒川神社の神様が扼する聖域であり、寒川は神川の転語ともいわれています。

そんな寒川神社では寒川比古命(さむかわひこのみこと)と、寒川比女命(さむかわひめのみこと)の二柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。創建は西暦727年。鎮座地の開拓者が、現在の寒川神社本殿の裏にある湧水量豊富な地泉(現・難波の小池)を崇めたことが起源です。その後、寒川大明神は、氾濫を繰り返す相模川を鎮める神様としても信仰されるようになりました。

中世では、相模国一宮と仰がれ広く朝野から崇敬を受け、また、源頼朝、北条氏などの武将、徳川家代々の将軍から信仰を集めました。明治以降は「八方除」が信仰の中心となり、全国唯一の八方除の守護神として現在に至っています。

寒川神社の八方除とは、地相、家相、方位、日柄などからくるすべての悪事災難を祓い除く祈願のことをいいます。現代では、住居、方角、運勢などの吉兆を判断しても、それに忠実に従うのは難しい。大難は小難、小難は無難に過ごすために、八方除の祈願があるとされ、八方除守護神が崇敬されることになります。

そんな寒川神社への参拝は、入口にあたる大門・一之鳥居をくぐり、桜並木の道を進み二之鳥居をくぐることから始まります。まもなく石造りの神池橋を渡り参道を進むと緑豊かな樹木が茂り、神々の世界に踏み込むかのような情景が広がってきます。

壮麗な神門を仰ぎ見、その楼門をくぐると内庭を隔てて荘厳な拝殿、その彼方に流造の本殿屋根が望めます。神威あふれる厳かな境内の社殿の多くは、平成の時代に入ってからの造営で、真新しい白木の香りに包まれているのが印象的です。

長い歴史と伝統を継承する八方除の社として、全国からの参拝者が絶えることのない関東屈指の名社の様子を是非ご視聴ください。

Samukawa Shrine is a Shinto shrine in the Miyayama neighborhood of the town of Samukawa, Kōza District. Kanagawa Prefecture, Japan. It is the ichinomiya of former Sagami Province.

The origins of Samukawa Shrine are unknown. Unverifiable shrine legend states that during the reign of Emperor Yūryaku (418-479), messengers were sent to this shrine from the imperial court. The earliest written records indicate that the shrine was rebuilt in the year 727, and its name also appears in the Shoku Nihon Kōki entry for the year 846. By the time of the 923 AD Engishiki, the shrine is styled as the only shrine in Sagami Province to be a Myōjin-taisha. There is also a mystery regarding the kami enshrined. The current kami are given the collective name of “Samukawa Daimyōjin”, about whom nothing is known.

At present, the shrine is located on a low plateau on the left bank of the Sagami River, about seven kilometers inland in the central southern part of Kanagawa Prefecture; however, during the Yayoi period, it was located on the shore of an inlet of Sagami Bay which extended far inland from the present shoreline. The ancient Tōkaidō highway crossed the Sagami River passed the east side of Samukawa Shrine. In the Azuma Kagami of the Kamakura period, Samukawa Shrine is identified as the ichinomiya of Sagami Province, and there was a dedication ceremony at the shrine on the birth of Minamoto no Yoriie. Afterwards, the shrine was patronized by the Hōjō clan, and in the Sengoku period by the Later Hōjō clan.

Following the Meiji restoration, in 1871 the shrine was designated an National shrine, 2nd rank (Kokuhei-chūsha) under the Modern system of ranked Shinto Shrines.

4 Comments

  1. その地に行かなくても こんなに美しく素敵な風景を動画で拝見出来ること 嬉しく思います。
    ですが どうぞ ご無理なさらず お身体ご自愛下さい。
    癒しをいつもありがとうございます

  2. 寒川神社は名前は聞いた事がありますが、
    神奈川県にある事も知りませんでした😅
    荘厳な雰囲気が伝わります。
    青紅葉が綺麗✨きっと秋は美しいのでしょうね🍁
    私的には0:22の早朝の水田の風景はとても綺麗でした🤩

  3. 何も考えず、去年の11月23日にお詣りに伺いましたが凄まじい参拝者の多さ、交通渋滞で駐車場まで1㌔の所で2時間掛かりました、新嘗祭という事を失念しておりましたがやはり大都市の一の宮の崇敬者は格段ですね。何度行っても素晴らしい拝殿ですよね。

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