「伊都国」吉野ヶ里遺跡へ行ってみた 「宮室・楼觀・城柵、卑弥呼の居城と同等の設備」 #三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅

倭国、北の管理拠点「伊都国」吉野ヶ里遺跡へ行き、吉野ヶ里遺跡を散策します。三国志魏志倭人伝の記述、卑弥呼の居城にある、3つの設備「宮室」「楼觀」「城柵」が、吉野ヶ里遺跡にも存在することを確認します。

次の点から、吉野ヶ里遺跡が、「伊都国」であったことが確認されます。
①三国志魏志倭人伝の「末盧国から伊都国の経路」
②卑弥呼の居城と同じ、3つの設備「宮室」「楼觀」「城柵」の存在
③吉野ヶ里遺跡から、奄美大島、沖縄の貝のアクセサリーの出土があり
 「貝の道」と呼ばれる航路で、船で「奄美大島」「沖縄」と交易があったことが確定している
④吉野ヶ里遺跡と、卑弥呼の居城だったと考えられる、沖縄「北谷海底遺跡」の
 年代の一致と、形状の類似性

吉野ヶ里遺跡の特徴
九州北部と、沖縄、奄美大島は、弥生時代から船で貝交易がおこなわれていた
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch1/sakishima_2.html
吉野ヶ里には、沖縄、奄美大島から交易された、多数の貝のアクセサリーの出土がある
https://www.yoshinogari.jp/ym/episode05/trade_2.html
吉野ヶ里から、貝紫に染色された、絹織物や絹糸が発掘されている
「貝紫の染色織物」は、フェニキア人のシンボルである
https://tontonzizii.livedoor.blog/archives/28746778.html

日本にやって来たフェニキア人
屋久杉(縄文杉)とレバノン杉
https://momo-momomat.blogspot.com/2012/03/blog-post_16.html
樹齢3000余年の屋久島の縄文杉『スサノオの樹種(こだね)の記事は神話でなく史実』
https://matmkanehara.blogspot.com/2013/01/blog-post_2.html?m=1
与那国島の海岸岩場に刻まれたフェニキア文字

「祖霊の柱」について
吉野ヶ里遺跡内で「祖霊の柱」と言う柱を祭るエリアを発見
これは、諏訪大社の「御柱」と同じ信仰と考えられます

諏訪大社の「御柱祭」は、古代イスラエルの歴史書に書かれた、
エルサレム神殿を造る時に、レバノンの山の上からレバノン杉を切り出して
船でエルサレム神殿まで運んだ時の様子の、再現であるとの説があります

レバノン杉は、紀元前に、世界中を航海するために、フェニキア人が船の建材として利用した木です。
また諏訪大社のお祭り「お舟祭」は、紫船を曳行する祭りです
紫は、フェニキア人のシンボルカラーであり、フェニキア人は貝紫で染色をした織物の交易を行っていた民族として知られています。

つまり、諏訪大社お祭りと、古代の吉野ヶ里、邪馬台国=沖縄と、
イスラエルのユダヤ人と交流の深かったフェニキア人が、つながったこととなります。
また、フェニキア人がレバノン杉の苗を日本まで運んできて、屋久島に植樹した杉が、縄文杉だという説があります。
この屋久島は、南西諸島のにあり、倭国の島だったと考えられます。

参考
諏訪大社 下社秋宮一之御柱

諏訪大社 御柱祭

諏訪大社下社お舟祭 紫船曳航

週末 三国志魏志倭人伝ツアー 邪馬台国へ!!

00:00 唐津から松浦川をのぼる
02:14 地図と今回の経路
02:43 末盧国から伊都国の経路
09:46 入口から南内郭
14:30 南内郭から北内郭
16:59 吉野ヶ里遺跡と北谷海底遺跡
21:46 祖霊の柱と北墳墓
26:19 南の祭壇

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#三国志魏志倭人伝の経路をたどる旅

1 Comment

  1. はい。ついに来ました、「伊都国」吉野ヶ里遺跡です!!卑弥呼の面影を探して、ひたすら広い吉野ヶ里をさまよい歩きました。
    吉野ヶ里の特徴は、三国志魏志倭人伝の、邪馬台国の卑弥呼の居城にある、3つの設備「宮室」「楼觀」「城柵」が、存在するという点と、倭人伝の書かれた時期と、同じ時期の遺跡であるということです。また倭地の記述にある「年貢を収める邸閣」も存在します。

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