100年前の歌舞伎座、小石川植物園、地下鉄。東京の今と昔を見る Kabukiza,Koishikawa Botanical Garden, Subway.100 years ago.

東京、100年前と今。

1940年(昭和15年)の東京都文京区白山の小石川植物園。
小石川植物園は、日本の近代植物学発祥の地として知られ、300年以上の歴史を持つ由緒ある植物園です。その歴史は、江戸時代に幕府の薬園として始まりました。
当初は、薬用植物の栽培が主な目的でしたが、次第に学術的な研究の場へと発展していきます。明治時代には、東京大学付属の植物園となり、日本の植物学研究の中心地としての地位を確立しました。
園内には、古くから生育するイチョウをはじめ、様々な種類の植物が栽培されており、四季折々の美しい花や緑を楽しむことができます。また、植物学に関する貴重な資料や標本が収蔵されており、研究者だけでなく、一般の人々も植物の多様性や生態系について学ぶことができる場所となっています。
小石川植物園は、単なる植物園にとどまらず、日本の文化や歴史と深く結びついた場所でもあります。園内には、歴史的な建物や庭園が残されており、訪れる人々に日本の伝統的な美しさを伝えています。
近年では、都市化が進み、自然と触れ合う機会が少なくなった現代において、小石川植物園は、人々に癒しや安らぎを与える場所として注目されています。

1934年(昭和9年)の歌舞伎座。
歌舞伎座は、江戸時代から続く日本を代表する歌舞伎劇場です。その歴史は深く、幾度もの興亡を繰り返しながら、今日まで日本の伝統芸能の象徴として人々に愛されてきました。
歌舞伎座のルーツは、江戸時代初期に木挽町に建てられた森田座にまで遡ります。その後、歌舞伎の人気の高まりとともに、多くの劇場が建てられ、木挽町は江戸の演劇の中心地となりました。明治時代に入ると、近代的な劇場へと改築され、歌舞伎の舞台はさらに華やかさを増していきます。
第二次世界大戦中は、空襲により歌舞伎座は焼失してしまいます。しかし、戦後復興の象徴として、新たな歌舞伎座が建てられ、再び歌舞伎の舞台が開かれました。
現代の歌舞伎座は、何度かの建て替えを経て、2013年に現在の5代目歌舞伎座として生まれ変わりました。バリアフリー化が進み、より多くの人々が歌舞伎を楽しめるようになりました。また、歌舞伎座タワーとの複合化により、歌舞伎だけでなく、様々な文化に触れることができる複合文化施設となっています。
歌舞伎座は、単なる劇場にとどまらず、日本の伝統文化を後世に継承していくという重要な役割を担っています。伝統を守りながらも、現代の観客にも楽しんでもらえるような工夫を凝らし、歌舞伎の魅力を世界に発信し続けています。

1937年(昭和12年)の地下鉄。
東京の地下鉄は、日本の近代化とともに発展してきた都市交通の象徴です。世界でも有数の規模と歴史を誇り、その歴史は、都市の成長と人々の暮らしを深く反映しています。
東京の地下鉄建設は、19世紀後半から本格的に議論が始まりました。しかし、技術的な困難や財政的な問題など、多くの課題があり、実現には時間がかかりました。
1927年、ようやく浅草~上野間が開通し、東京初の地下鉄が誕生しました。その後、徐々に路線が延伸され、東京の交通網は大きく変化していきます。
第二次世界大戦で大きな被害を受けた東京ですが、戦後復興とともに地下鉄の建設も再開されました。高度経済成長期には、都市が急激に拡大し、地下鉄は通勤・通学に欠かせない存在となりました。
2004年、帝都高速度交通営団が民営化され、東京地下鉄株式会社が発足しました。これにより、地下鉄はより市場原理に基づいた経営が行われるようになり、サービスの向上や新たな取り組みが活発化しました。
近年では、少子高齢化や人口減少といった社会問題に対応するため、地下鉄の利便性向上やバリアフリー化が進められています。また、新たな路線の延伸や、他の交通機関との連携も強化され、東京の交通ネットワークはますます複雑かつ高度化しています。
東京の地下鉄は、単なる交通機関にとどまらず、都市の顔であり、人々の生活を支える重要なインフラです。その歴史は、技術革新や社会の変化と常に歩みを進めてきました。今後も、東京の地下鉄は、都市の成長とともに発展し続けることが期待されます。

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