【7/1(月)779日目/鹿児島県霧島市】宮崎県都城市〜鹿児島県霧島市まで30km移動【ジョイフル国分府中店からライブ配信】

どうも皆さんおはようございます朝から 坊主がコツコツと学びを報告するライブ 配信本日は7月1日月曜日の配信です現在 僕はと鹿児島県霧島市のジョイフル国部 府中店からライブ配信をお送りしており ますえ です ねライブ配信えっとちょっと途中で中断し ましたけれどもえワンウィークヒストリー というね毎週日曜日は1週間の歴史を 振り返るえ動画と共に振り替えるっていう ライブ配信してるんですけれどもちょっと ね配信環境のちょっと調子が悪かったので えっと中止になりましたとでえっとまかえ ま体制は整えれたんですけれどもま昨日の 続きはもう来週に全部え持っていきますの ではいもう今日はあの通常配信にしたいな と思いますちょっと昨日の残りをお届け しようかなと思ったんですけれどもはいま ちょっと来週の日曜日ということになり ますでま今日は7月1日なんでえ本来なら え占いのえっと運気7月1日もえっと 新しい運気を迎えて頑張りましょうみたい なライブ配信をするんですけれどもえっと まそれもあのパパッと喋ってはいあの ちょっと昨日のストレスがかなり溜まって ましたのでもう今日は普通に喋りたいこと をあのぶちまけるように喋りたいんで えっとまちょっと占いの運気の話ねえっと 毎月1日は はいそういうライブ配信をしていたんです けれどもねえまそこそこにということでお 話ししていきたいなと思いますまあとあの 鹿児島県にも突入したんですよねはいもう 今鹿児島に来ていますでえっと鹿児島に僕 来るのはあの初めてなんですよねはいで あの自転車で旅したりま車中泊で旅したり しながら日本全国ま色々と動き回ってはき たんですけれどもまその中でもはい鹿児島 県と沖縄県だけはまだ足を踏み入れたこと が ないですけれどもえっと昨日無事えっと 宮崎県宮子の上司からえっと鹿児島県 えっと今霧島市っていうところにいるん ですけれどもえそちらの方にえ到着しまし たということでま場所的に はちょっと一旦これで確認しておき ましょうかねはいえとま全体像がこんな 感じでしょうかで今えっと ねまこの前東京にあのちょこちょこっと 行ってたんですけれどもそこから大分県に 戻ってきたのが40日前なんですよねで 大分県の大分空港のところ から今自転車でえっと大分通って宮崎通っ て鹿児島入りしたんですよねでその期間 えっと40日間ですはいえっと40日間 えっと大分宮崎鹿児島とえっと自転車で 走ってきましてえっと昨日はここですね ここが宮崎県宮子の上司っていうところな んですけれども はいそこからま山越まうん緩やかな山かな うんまとはいえ300m400mぐらいは 上がってると思うんですけれどもこの ルートを通って自転車でえっと宮子の上司 からここですね鹿児島 県さ市にえ到着しましたということでま 昨日はもうずっとえまうちょっと雨の心配 もあったのの でまこちらのジョイフルさんでえっと1夜 え過ごさせてもらいましたけれども うんいやなかなか しんどかったですましんどかったっていう かうん あの湿度うん もうコンビニでもいいしファミレスでも いいけれども中に入ってる状から外に出る とその眼鏡が曇るぐらいのその湿度虫っぽ さって言えばいいんですかね その水分にちょっとまとわりつかれながら ちょっと自転車に乗るましかも山越してた 時もたまに雨が降ってたんでちょっとその 雨もしぎながらの移動になったのでま結構 えっと大変でしたねましかも昨日は日曜日 で で午前中は稼働してたんですよ都の上司で うんでま日曜日だけれどもまあまあまあサ まぼちぼちは稼げ稼げれてたんですよ けれども昼過ぎた辺りからもう注文が全然 ならなくなってでプラスアルファちょっと 天気もちょっと崩れがちになるっていう ことだったのでもう早いところ もう次の街を目指そううっていうことで えっと鹿児島にえっと向かいましたとうん ましかも え明日鹿児島空港から成田に行かなければ いけないのでもう今日には鹿児島に着いて おく必要もあったんですよねうんもう今日 はこの後ずっと雨が降るんですけれども この雨の中ちょっと短くしてでUber eatのバックにね自分の荷物全部 詰め込んでえっと大和運輸に持っていって も荷物を大和運輸でえ関東の方に送ってで ま僕は右1つで鹿児島空港から成田空港に 飛んではいでちょっと1ヶ月間ぐらいは ちょっと知り合いのお仕事の手伝いをしに えっと関東で合流して富山県に向かうって いうねちょっとそういうスケジュール しかもちょっとバタバタなスケジュールに ちょっとなってしまってま雨の影響でね ちょっとバタバタのえとスケジュールに なってしまったんですけれどもちょっと 明日はえっと 鹿児島空港から多分ライブ配信はできると 思うのではいまちょっとそこからお届け できたらなと思っています とでえっとまそうですねせっかく 7月になったのでま運気の話ね7月の運気 の確認だけしておきましょうかもうそんな に長々と喋るつもりはないんですけれども ま一応1日になりましたのでねえっと7月 の運気ちょっと確認おさいしていき ましょうまちょっとその前にねちょっと僕 のえっとねちょっと待ってくださいね ちょっと画面 の確認をさせて欲しいんですけれども えっと ねちょっと待ってくださいねあちょっと えっと ねまワンウィークヒストリーっていうね一 週間の歴史を振り返るライブ配信ちょっと 待ってくださいねこれ今 あ大丈夫ですよ ね 今ちょっとすいませんね今何が起こってる か ちょっとわかんないと思うんですけれども いやライブ配信がちょっと僕のパソコンの 方 で画面が確認できないんですよ今ライブ 配信 がああ大丈夫ですね確認できましたたとで えっとちょっとねちょっと画面切り替え させて欲しいんですけれどもちょっとこの 画面に切り替え てプラスアルファちょっとこの画面に 切り替えさせてもらっ てでこれ画面が正常 に動いてるかをちょっと確認しておきたい んですよねこれ一応来週 異様の画面なんですけれど [音楽] もえっとすいませんねちょっとワン ウィークヒストリーでこうやで自分が旅し た時に撮った動画写真とかをこうやって スライドしていってるんですけれども スライドしながらえっと解説説明してるん ですけれどもちょっと 昨日のやり方今まで通りのやり方でやって たらちょっとバグが起こっちゃうっていう 問題が発生したんですよねで今画面出し てるのは違うやり方をしてるんですけれど もあ問題なくライブ配信できてそうですね ちょっとこれはまた来週のあ今週の日曜日 にえっとワンウィークヒストリーで紹介 する写真なんでちょっと今日はここまでな んですけれどもちょっと続の仕方を ちょっと僕自身変更しましたのでその確認 作業させてもらいましたとはいでちょっと すいませんねバタバタしちゃってああ ちょっとコメントの方はあ特にコメントは 入ってないですねえっとじゃあちょっと 好きかっ て喋らせていただきます えっといらイラストレーターでま運気の 確認ちょっとまじゃしておきましょうかも 本当熱心ですよねきちんとここういうこと だけはまやっておきましょうっていう ライブ配信してるのはここぐらいですから ねま毎月毎月はいえっとまこれがね 2024年の皆さんの運気ですよねこれは 1年間の皆さんのあ違うねこれ1年間のの 皆さんの運気の表がこれになります今年1 年の表がこれになりますとえっと銀の カメレオンの場合は銀のカメレオンの ところ下ずっと辿っていくと整理っていう 運気になるので今年1年は整理の運気に僕 は入っていますていう確認はここの画面で しますと でえ今月の運気っていうのを確認するので あればこの表を見てくださいとで僕の場合 はえっとカメレオンの銀っていうところを 見ますでここをずっと下に見ていった時に 7月7って書いてるところが7月になり ますのでじゃあ7っていうところとクロス してるのは健康管理っていうところなので 今年のこ今月の僕の運気7月の運気は健康 管理という運気になりますまなのでえっと 皆さんも7って書いてるところを見て もらう と今年の今月の運気が分かりますイルカの 銀は7月は解放ですねで金のイルカは7月 は準備になりますねで7月1番運気がいい のは金のラシ板が海運の運気に入ってるん でえっと海運版の金ですねでえと銀の版 さんも7月はになってるのでまラシ版さん が今月運気がいいですねっていうことに なりますとで反対にえっと7月ラキ裏雲気 ありにいるのが金のインディアンさんと銀 の鳳凰さんですねはいまあ2人とも銀の 鳳凰も金のインディアンも今年1年の運気 はいいいいのでねうんま少し気をつけて くださいねていうくらいでえっと大丈夫だ と思いますま気を抜かないようにという えっと注意点とかはあると思うんです けれども銀の方を金のインディアンは比較 的1年間えっと運気はいいのではいここを 見てもらえたらなと思いますでまもう ちょっと分かりやすい見方をするのであれ ばまこの表で確認してくださいとえっと ここですね えっと7月ここを見てくださいとで銀の カメ量なら健康管理えっと銀の鳳凰なら裏 運気えっと金のインディアンならラキね えっとこれもまさっきと同じ表ではあるん ですけれどもまこちらの方が分かりやすく えっと確認できるかなと思うんですけれど もまこれで今月の運気をもう今一度確認 し直してくださいとはいまといったところ ではい7月の運気あの確認コーナーはこれ で終わりですはいで えまそういや何の話したかったんだっけと 思ったんですけれどもその昨日ワン ウィークヒストリーで本当はいっぱい喋り たかったことがあったんですけれどもま あの宮崎県宮のにま5日間ぐらい滞在して たのかなでまUberEぼちぼちしてたん ですけれどもまあんまり稼げないとで プラスアルファ雨が結構降ってたからま あまり観光スポットとかもなんか見て回れ てないあの街全体も見て回れてないとでま 図書館行ったりでま一応昨日料館はきまし たけれども歴史資料官みたいなところも 行ったしまあとは元々殿様がいたところと かが資料感にもなってたからまそこにも 行ったりっていう風にまいくらかは ウルチロはしてたんですよねでま歴史も 学びながらうんウルチロしてたえまこそれ はネットでえ宮崎県宮の上司の歴史ととか あと今から鹿児島に向かうっていうこと だったんで鹿児島の歴史とかもま調べて たていうことをしてたんですけれどもこの 宮崎県の宮の上司に えっとこの自転車面白自転車に乗ることが できる広場みたいなのがあるんですよで 昨日そこに行って聞いたんですよね でえっと川の駅公園っていうところにてき たんですよえ でま自転車に 乗れるななんだなんだろまコースみたいな のがあるわけですよ自転車面白自転車に 乗れるコースっていうのがまぐるぐる グラウンドみたいな感じでえ回れるような ところがあるんですけれどもま コンクリートなんですけれどもね下はで 一応ま子供向けの面白自転車がたくさん あってそこに面白い自転車にたくさん種類 があるのに乗るで僕が小学校の頃 にここにあの家族旅行で来たことがあ るっていうのが僕のその思い出の中で すごく色こく残ってるんですよでま僕は 岡山出身なんですけれども母親と父親が 熊本長崎の人間 なんて夏休みにはま九州にはよく来てたん ですよねけどその中の思い出で1番く残っ てる思い出 が宮崎県に行って面白い自転車に乗っ たっていう記憶がすごい残ってんですよで 今回自転車で宮崎旅に来た時にそのことを 思い出して調べたらこの宮の上司の河野駅 公園っていうところの面白自転車乗り場 っていうのが多分僕が小学校の時に行った ところであるっていうのは判明したんです ようんけどこれは まだ僕の中では確定した情報ではないん ですよ多分あそこだと思うしかも他にこの 面白い自転車を乗れるような場所は宮崎県 ではなかったのでま多分そこなんですよで ま昨日ここの鹿児島の方に向かう前にそこ の自転車面白自転車乗れるところに 立ち寄っ て今鹿児島に至るんですよで 今日のYouTubeのサムネイルになっ ているこの写真はまそこの自転 車面白自転車に乗れるところで僕が小学校 の時に乗った面白い自転車ってあのこう いう形の自転車だったんです よこれ分かりますかねまこれもまた来週の 日曜日のライブ配信で全部動画出しながら お話したいんですけれども これこの後ろにバネがま あの上に乗る立って乗るっていうタイプの キックボードっぽい自転車なんですけれど もこのバネが付いてるこの板をぐんぐんと その踏むことによって後ろのタイヤが回 るっていう乗り物なんですよ僕これを めちゃくちゃ えてたんですよこれを乗るのが面白い 面白かったっていう記憶があってでまこれ に乗りたいと思ってここの面白自転車 乗り場にあの昨日立ち寄ったんですけれど もまちょっとこれ見えにくいとは思うん ですけれども大人禁止なんですよねこれ あのやっぱ子供用なんで大人は乗っては いけないっていうことだったんで乗ること はできなかったんですけれどもまこの自転 車に乗って遊んでる子供たちをその温かい 目で見てえその場所を昨日は後にしたん ですけれどもま約35年ぶりにまその地に 足を踏み入れてその35年前のなんか自分 と重ねながらちょっと遊んでる子供たちを ちょっとな眺めるのはなんか非常 になんか有意義な時間だなと思ってうん 過ごしてましたまなのでその当時の親の 目線になって昨日あの場所にいたっていう ことなんですようん小 学校の頃に5年とか4年とかに行ったのか なうんだったので多分その当時の僕の両親 って今の僕よりも多分下手したら若いです ですからね今僕が45なんですけれども 下手したら30後半40ぐらいの両親に 多分連れて連れられてあそこのうんコース で遊んでたのであまちょっと感慨深いなと いうことでしたうんま未だに僕がねその 独身で独り身であそこに立ってい るっていうのも 何かうんあ人生って面白いなと思いました けれどもま家族連ればっかですからね周り はまちょっとあ足をうんちょっとま 立ち寄り立ち寄れてめちゃくちゃ良かった かなうんていうのをちょっと機能してき ました ただそこ の管理人の人あの市が運営している公園な んですけれどもそこの管理人さんと喋っ てる とここいつからやってるんですかって聞い たら20年前って言ってたんですよ 大体20年前かなって言っててで少なく とも僕の見立てでは35年前にはあったん ですよ小学校の時なんでま10歳の頃に あったのであれ ば僕は今45なんで35年前なんですよ 35年前にはあったけれども管理人さんは ま20年ぐらい前からありますからねって いういう風にま漠然といった数字だから 20年なのかわからないけれどもあれ ちょっと合うか計算が合う合わないって いうのはちょっとあったんですけれども まあけど多分管理人さんの方がま大体20 年前からありますぐらいで大体の数字をい てたからまうんまま問題なく僕が35年前 に立ち寄った場所はあそこかなとは思い ますけれどもねうんで他にこういうところ はないとも言ってましたしねこうやって 面白自転車にいっぱい乗れるっていう場所 が他にもないとも言ってたし うんでま実際にね僕がその 当時見てた自転車と同じようなものが やっぱあったんでまちょっとモデルは 変わってるかもしれないけれどもまあその 2人乗り自転車みたいなものもあれば えっともう車みたいな感じで左右で後ろ 座席もあるような自転車とかもあったり するしうんあ確かこんな感じだったって いう懐かしさもうんが変わらない感じだっ たからま多分あそこで合ってるま普通に 両親に聞けば分かるんですけれどもね僕が 自分の両親とコンタクト取って小学校の頃 に連れてってもらだた面白自転車乗り場 ってあそこだったよねって聞けば住むん ですけれどもま今度実家に戻ったらそれは ちょっと聞いてみたいなと思いますけれど もいやなんか良かったな僕は この訪ねる古る気を尋ねて新しきを知る スタイルがすごい好きでなんか昔自分が やってたこととかうんだから連れてって もらったところを またたどる またその地に足を運ぶっていうことが すごい好きなんでねうんまその中でま昨日 立ち寄ったところはあの感慨深いものは ありましたねはいでまそこからのその 生まれて初めての鹿児島県入りだったので まちょっとまテンションは上がってる ところではあるんですけれどもまこのまま まもう明日にはまたねちょっと東京の方に に向かいますのではいま鹿児島を楽しむの はちょっと一旦付けっていう感じでしょう かね はいであコメントねくださってますねな さんはりのご飯さんおはようございますと でうんまちょっと今日はこの後ねもう荷物 片付けてっていう風に色々あって大変なん ですけれども昨日ねま鹿児島に行くって いうことでまた歴史を勉強今もう めちゃくちゃ歴史勉強してるですよもう もうきちんと日本のことをあの理解して おかなければいけないで今爆発の方を中心 に勉強してるんですけれどもえっと西郷 高森さんがま鹿児島県ではま有名な人物 じゃないですかま鹿児島空港もちょっと 調べてたんですけれども目の前に西郷さん の銅像があるもう本当それぐらい最後さん 推しの町なんだなっていうのはまあまあ 分かってたことではあるんですけれども えっと ねその西郷さん のことをちょっと調べている となんか ねこの言葉を最後高森さんはすごく大切に してたんですよて いう言葉があるっていう風 にま解説してたYouTuberさんがい たんですよまその歴史について詳しい人の YouTubeを見ながら学んでるんです けれどもでま最後高森さんはこういう言葉 をすごく大切にしていた人なんですよねっ て紹介してた言葉がえっとね経験愛人って いう言葉なんですようんで天を 人を愛することっていうのがま敬う点にま 愛人もシンプルに愛人って書くんです けれども経験愛人っっていうのはそういう 意味 うんそうです ね天を敬い人を愛するで今ちょっと ウィキペディア調べながら見てるとま キリスト教と 授okayっていうものま授okayだ から講師さですよね の考え方とか をまミックスし てその教えを理解しようとした中でま ちょっとこういう形天愛人という言葉を うんなんか大切にしてたみたいな感じ でなんか説明されてたんですよでこの経典 愛人っていう言葉って実は すごく近くにあった言葉ではあったんです よ僕の中 であの知らない言葉ではなかったとま知っ てる言葉だったんですよその意味とかは 調べたことはなかったんですけれども結構 近くにあった言葉なんですよでこれって なぜ知ってたのかって言うと僕の地元の 友人がなけ仲良かった友達が19歳の頃に 亡くなったんですよ19歳 でその時その当時僕は大阪にいたんですよ うんでま要するにノノストラダムスの大 予言があった 1999年に僕は大阪にいたんですよで その時に電話がなって であ両親からの電話だったんですけれども 母親からの電話だったんですけれども あんたのあの中学校からの同級生の何々君 が亡くなったんだけれどもあんた知ってん のっていう風に連絡あってで僕別にあの誰 からも連絡がなかったんでと地元の他の 友達からも連絡がなかったんで僕そのこと 知らなかったんですけれどもいや知らな いってなって初めてそこでその地元の友達 の死を知るんですよだから大阪で聞いてた しもうお夜とかも全部終わってた時に聞い たんでまお墓参りじゃなくてお葬式にも出 てないんですけれどもまなくなったとで そこから数年経った時のま1周期3周期7 とかなんかそういうのあるじゃないですか そのタイミングで初めてお墓参りには行っ たんですようん何周期っていうところで ちょっとねその家族とま友達同士が集まっ てまちょっとみんなでねちょっと思いを はせるみたいな集まりがあったんでそこに は参加したことあったんですけれどもその 時に初めてその友達のお墓に た時のそのお墓の表面に書いてた言葉が点 愛人だったんです ようん本当は何々家のお墓とかって書い てるのが一般的じゃないですか僕んちだっ たら森康家の代々のお墓的なことが書いて たりするしっていう大体それが一般的じゃ ないですかその友達のお墓っていうのが その先祖代々の人が入ってるお墓じゃ なかったんですよその人だけしか入ってい ないだから僕の友達しか入ってい ないその家の人のお墓だったんですよで そこの1番表に京店愛人とだけしか書かれ てないお墓だったんですよま墓地とかいっ てもたまに趣味思考の違うお墓ってなんか 見ませ ん なんかご存知のお墓の形じゃなくてあ ちょっと木を照ってるようなお墓の作り方 してる人っているじゃないですかだから その類いの1つだったんですよ点愛人だけ でえっとね石の種類も結構違うんですよ僕 らのはあのネズミ色のもうご存知のあの石 の感じだけれどもこのなんて言えばいいの か ななんかおしゃれ なデパートの洗面台トイレの手洗うところ の石 っぽい質感のって言えばいいのかなまま 結構なんかラグジュアリーな印象の ちょっと赤赤ベージュっぽい石に形天愛人 って書いてるんですよいやだからま変わっ てるなとは思ってたんですけれど もま別にお墓の種類調べることもなく経験 愛人の言葉の意味調べること なく日々過ごしてたんですけれどもそう 昨日最後高森さんとかの動画見てたらうん そこにまつわる言葉だったんだっていう ことを初めて知ったのと同時にあそういえ ば その友達の両親っって鹿児島出身だったよ なっていうこともげながら思い出したん ですよ そう鹿児島の人だったんですよね確か父方 だったと思うけれどもうんでま僕の地元の 岡山のあるエリアをの山を切り開いて託 する住宅地がいっぱいできるっていう タイミングで引っ越ししてきたのかなうん あまそれか鹿児島から元々岡山に来ててで その岡山からま僕の住んでる近くにま 引っ越ししてきたというまそういうレツだ とは思うんですけれどもまこここの話もあ なんか自分の今まで生きてきた中 で起こった出来事が今現在っていうものと とああここでここで繋がったと思ったん ですようんあ亡くなった友達のお墓の停点 愛人っていう言葉はあそうかこの鹿児島の お父さんが建てたお墓だからそういう思い がああいう形のお墓に現れてたんだって いうだから多分最後高森が好きだった お父さんもしくは うんうんうんなんかちょっとま好きとか 尊敬してたとかまそういう方だったんだと 思いますうんまちょっと経験愛人っていう 言葉もね今サクサクとウキペディア調べて 見てるだけなんですけれどもうんけれども 今こうやって見ててもあやっぱり最後高森 さんが がっつり好んだような言葉みたいな感じで は書かれてるかなうんで最後高森自身が この希しただから省しめた経験愛人の言葉 とかも鹿児島市立美術館とかにも所蔵され てるしとかっていう風に書かれてますね うんあ東京国立博物館に はあるのかなあ けどうん ま武田信玄でいう風林火山とかてなんか あるじゃないですかあの人はあの言葉を よくか掲げてたとか旗に掲げてたとかそれ が多分最後高森さんバージョンの言葉だと 思うんですようんいやけどその話を ちょうど昨日宮崎から鹿児島にこの自転車 で渡るこのタイミングでこのエピソードを 思い出せた思い出せたというかこの エピソードにちょっと出会ったっていうの もあなんかちょっと運命を感じるなと思い ましたねま僕地元の岡山に戻った時には その友達のお墓参りにはあの必ず行くので この経験愛人もね常に身近にはあった言葉 だったんですよねその亡くなった当時だけ じゃなくて今でも年12年前地元に戻った 時にもお墓参り行ってるしうんまだから次 地元に戻った時にそこのお墓参り行く時に はやっぱりこのバックボーンも理解した上 でお墓参りできるわけだからまちょっと そこに関して言えば非常になんか楽しみな ところではあるかなうんその泣きとえの 思いの発せ方のその解像度が違うっていう のかなそうである鹿児島にも足を踏み入れ てるし点愛人のね意味もこの理解した上で その母の前に立てるっていうのはあ なんかちょっとそのスピリチュア指数 スピリチュア指数相当高めだなっていう風 にあの自分自身思いましたけれどもはい ちょっとそういうエピソードとかもね ちょっと思い出しましたけれどもまさっき のはね自転車の面白自転車乗り場の話も そうですけれどもうんこのコネクティング ザドッツ感をま僕はもっともっと 張り巡らせていかなきゃなっていう風には 思いましたからね はいそんな感じでお話しておりますが うん色々色々良かったですねあのとかもま ちょこちょこっとは行って見てきたしまあ 今から鹿児島ま鹿児島に来てますけれども ちょっと1ヶ月間だけちょっとお休みして 他の街には行きますけれどもま1ヶ月後に は鹿児島の旅は再開するんですけれども この鹿児島はの歴史は今までちょっと本当 に手をつけれてなかったんですけれども 面白いと 思うあの江戸時代 後期の時代がま僕は好きなんですけれども この東京 江戸っていう視点から見ると鹿児島県まさ 班っていうのは端っこの端っこなんです よまだ から端っこの端っこだからもう勝手に ことをちょこちょこされてもいけないわけ だからまそのま参交代とかっていう感じで ねもう定期的に東京に顔出しに来なさい よっっていう風に言っ てまそれぞれの反のその財力とかをま奪っ ていったみたいな感じで産金交代語られ たりするわけじゃないですかまとはいえ 東京江戸幕府っていうものが 国を統一している時代においてこれだけ 端っこ の国ま端っこの半町があったっていうこと はいやそれはそれで 徳川幕府の目のやっぱり届かない町では あると思うんですよ で鎖国をしてた時代とかでもやはり 海外と何のかんので接点っていうものは あったんだろうなっていう風な部分も もちろんあるんですようんで外国の人も 東京の方はね船をつけれないんだなけど他 のところでは船つけれるんじゃないのか なっていう感じ で色々とあの手の手はしてたとは思うん ですけれどもいやこの ねなんか鹿児島にまであとはま鹿児島は あのイギリスと戦争してますからね イギリスvs日本じゃなくてイギリスvs 鹿児島であの戦争してたりもしますからね けれどもそういうところ1つ取ってみて もなんかね割とこの外の世界 と実は すごく繋がって た しちょっとそういう意識が高い系の街だっ たのかなてなんとなく僕の中で思い始め てるんですよでこの色々な出代将軍いるん ですけれど もま島っていうのがね鹿児島収めてたん ですけれどもそこに島津成明っていう人が いてこの人が割とキーマンみたいに語られ てるんですよねエドバフ後期の江戸時代 後期のタイミングでこの成明っていう人が 割とキーマンみたいに書かれてるんです けれどもこの人が 割と破天荒という かちょっと奇抜な烈なものとかにすごく 興味を示すようなタイプの人だったらしい んですよねでま僕もちょっと変わっとこと するのが好きだったり するんですけれどもまなんか鹿児島の歴史 をきちんと紐解いていくことでなんか見え て くる面白さがなんかちょっと眠ってるよう に今思ってるんですようん あの当時の川島ま皆がみ ねその烈なもの を好むようなものではなかったと思うん ですけれどもこのこの前大分県行った時に も思ったんですよね大分県っていう町の えにいた殿様は殿様もやはりちょっと 変わったものが好きだった からキリスト教みたいなものに強く惹かれ ていったんですよねまこれは江戸時代から もうちょっとさ時代は遡りますけれども 大友総理ていうね大名がのトップがいて その人がキリスト教っていうものに系統し ていたからそのキリスト教っていうのが その反で広がっていってでキリシタン大名 みたいな感じにもなっていったんです けれどもうん このそれのちょっとその鹿児島鹿児島版 みたいなものまだから海外の武器とかを 積極的に仕入れてちょっと使い方をなんか 勉強していくとかっていう感じ も多分発展してたっぽいんですよ ねうんちょっとその辺りをね しっかりと理解していき ながらうんまいろんなところに足を運び ながら学んでいこうかなと思ってますね うんいや僕ね本当歴史は苦手だったんです けれども小学校の頃も全然勉強はできて ないんですけれども実際にこうやって足を 運ぶこと でちょっと色々興味持てたりするしうん 有名な人物なのもんな人物とかもね ま人物名ぐらいは知ってはいますけれども じゃあ最後高森さんがどういう人なの かっていうのは今今の段階でも僕いまいち 分かってないですからねうんま割と重要 人物ではあるんだろうなとは思ってはいる んですけれどもそんなに分かっちゃいない んですよ最後高森さんが何者なのか うんまちょっとその辺りも含めてうん ちょっと学びを深めようかなと思ってます いや面白い な面白いですねはいでまちょっとそれとは また話はガラっと変わるんですけれども もうあまりにも我慢できなくなったん でこれ運の本買ったんですよ でまこれは朝の配信でもちょこちょこ喋っ てた内容ではあるんですけれどもま僕常に 運について考えることが好きなんですよね 幸運とか海運ま占いに携わってる人間だっ たりするのでま運っていうものがどういう ものなのかっていうのをま考えることは やっぱ好きだしまそういう話になることも 多いんですよねアドバイスをしていく上で でまいろんな 角度で運っていうものは語られることはま あ多いんですよみんなが同じイメージを頭 の中に描きながら同じ価値観で運同じ定義 で運っていうものを語っているわけでは 決してないなっていうのはま皆さんもまお 気づきではあるとは思うんですようん運の 定義とかはもう人それぞれの占い師さんに よって本当に違ううんで そんな時 にその本屋さんプラット立ち寄った時にま やっぱインパクトがあるから目について からま手に取りますよねけど手に取る前に あれこれ誰の書いた本なのかなって調べ たら安田高尾 さんていう方が書いた本なんですけれども ドンキホテの海の親なんですようん どんどんどんドンキーのあのドンキホテの 海の親の方で今も75歳ぐらいで自分が 若い時にどういうことを経てドンキホーテ を今のように大きく育てていったのかって いうこそういうことも含めて書いてるのと 同時にこの人も運とはなんぞやっていうの をすごく自分なりに研究してた人でもある んですよその学問的に研究してるんじゃ なくてあのもうがっつり経営者さんなんで 経営の視点で運とは何かっていうのを すごく研究してるっぽい人だったんですよ だ から私にとっての運とはこういう定義で あるみたいなことをきちんと整理しながら 語っているような本なんですよそう経営者 の語る運とはこういうものですっていう 書なんですよだからあの宝くじに当たる人 の運とかその発展途上国のスラム街に 生まれ出た生まれ落ち た命に備わっている 運とはみたいなことは私は語りませんて いう風に運を語る上での大前提を ちゃんと説明しながらこの人にとっての 経営者が持つ運とはっていうことを語っ てるんですよあこういう風なせ言葉の整理 定義をきちんとした上で喋ってるっていう ところにもま非常 に行為が持ててでこれずっと立ち読みして たんですよ今まではいやけれどもいやこれ はこの経営者の線で語られてるこの運のお 話と僕はホームレス目線で運を語るじゃ ないですかだからホームレス目線で運を 語った時に僕はめちゃくちゃ運がいいって いうことをここでも何度も言ってると思う んですけれどもこの運 の定義がこの人とめちゃくちゃ似てるん です よめちゃくちゃ似てる経営者のしかも ホーテってこの本にも書いてるんです けれども売上が ずっと上がり続けてるんですって230年 連続で上がり続けてるんですよリーマン ショックとかバブル弾けたリーマン ショックとかコロナとか関係なしに全部 上がり続けてるらしいんですよ売上がこう のねデパートとかいっぱい潰れてるこのご 時世にずっと上がってるらしいんですよ うんま今とかは海外とかでもドンキ法廷 あるあの進出してるらしいんですけれども ま全然上がり続けてると ででそんな経営者ま大正行者の語る運って いうものに耳を傾けて欲しいっていうこと でこの本書かれてていやめちゃくちゃ 面白いしあの僕自身が今までホームレスの 目線で 感じてきた積み重ねてきた運とすごく似 てるしで整理の仕方その定義の仕方とかも 似てるしうんでもちろんあビジネスならで はの運の語り口だなっていうこっちにも ない価値観で語ってるところもあすごく 勉強にもなるしでけどまだ全部は読んで ないんですよ今1/3読んでるぐらいかな うん でま後にましかもビジネスなんでえっと 個人が持っている運とそのスタッフも含め チームねえっと従業員が持っている運と 自分が持ってる運がその重なってもいか なければいけないま集団運と運個人の運 個人の運と集団の運があるからその経営者 が持つ運っていうものはまずこの2つも 意識しなきゃいけないしっていう風にも 語られてるんですよま僕はこのホームレス 運の方を語ってるんでま僕はその集団運 っていうのをま語ってないじゃないですか うんけれどもやっぱり経営者だからその運 は語らなきゃいけないっていうことでそう いうこともちょっと書いてるっぽいんです よまだその辺りは詳しく読んでないけれど もあでうんちょっとこの本を読んで今一度 整理をしていくともうこの僕僕自身の 持つ僕自身の口から語る運とはっていうお 話はうん なんか1つのものとしてなんか完成させる ことができそう今まで散々いろんな アプローチで運を語ってきたけれどもうん やっとこのタイミングで運の正体をうん ちょっと説明できるようになりそうかな うん なのでね え運っていうものを語る上で必ずこの宿命 っていうものを理解するていうこともま 大人にもなってくるんですよでま僕は運命 と宿命っていうこともね色々たくさん喋っ てきたしで宿命っていうものはま基本的に は時代と国と家計とえと体性っていう大体 この4つでま捉えておく必要があるとうん その4つのテーマに宿命っていうものは もうずどんとのしかかってきたりするもの であるからうん一旦その宿命っていうもの が何かを理解した上で運命を語らなきゃ いけないしその運命っていうところに たくさんの運っていうものがま詰まってる わけですよねまそういう風に僕は多分今後 も語っていくとは思うんですけれどもま この方 もその発展途上国のスラム街とかで生まれ た命に宿っている運とかを私はこの本では 語らないっていう風な表現はしてるんです けれどもまやっぱりそれはま宿命っていう 言葉こそ出してないけれどもその宿命 みたいものと分けてるっていうニュアンス だと思うんですようんまあと宿命について も何か喋ってるところはあったとは思うん ですけれどもけどなんかニュアンスとして はうん今言ったものに近いニュアンスだっ たと思うまあと経営者として語る運ながら お金を稼ぐとか出世するとか目立つとか そういう欲望にフィットした運を私は語り ますからねて言ってるんですようんだから いやこう別にお金ないけれどもこういう 暮らしができて心が豊かなので僕は私は運 がいいですこういう運があることも分かっ てはいるけれども僕はそういう運を語る ことはしないっていう風に説明してるん ですよまこの辺りもリロ生前とねこの運に つい てやっぱり研究されてるんだなっていう ことがまよくわかるそうその運心が満たさ れる運ま感謝に満ち溢れるほどの運って いうものと権力身につけて財力身に つつける運っていうものをきちんと分け てるんですよ欲望別運とでも言いましょう かしかもそれで特化してんのが財と権力 みたいな感じの運の語りくじで僕は僕が 語る運って多分この人の逆なんですよお金 がなくても地位がなくても運があればこれ だけ幸せで豊かに生きれる その運のも語りべなんですよね うんまだから僕の語る運とこの方の語る運 を2つとも吸収すると運の全体像が分かる と思うんですよ うん金と財に縁がない運運の語りべと財と 金に縁がある運の語りべなんです よけどここのアプローチで運を運のお話が 聞けるんだって思うと すごくじゃああなたが今手に入れたい運 ってどっちの運っていう風なものが はっきりしますよねうんでどっちの運を 引き寄せるのが得意なのかっていうの も現れるはずなんですようんまこれはね あの世三春占いでもある 程度分かるんですよあなたの名数が何番が あるのかでうん5678がある人はま多分 こっちの方がピンとくるんですよただ 901234あたりぐらいまでだったら僕 が言ってることもわか僕が言ってる運の方 が刺さったりするんですようん僕が語る運 の方が刺さることがあるっていうことまこ その辺りぐらいまではうんま僕もあの 丁寧に説明はできると思うけれども ちょっとねこの名数下人がけた5678 ガミのこっちのお金であと地名誉とか経営 とかにまつわる運っていう勉強がま僕には ちょっと足りなかったのでまこの本で きちんと整理していこうかなと思います いやこのタイミングでねちょっとドンキ ホーテっていう会社自体がどういう会社な のかっていうことをちょっと1から ちょっと勉強しておくっていうのもいいの かなと思ったんですよねこれ株式上場し てるような会社なんでしたっけだからま そういうのも全然知らないかなうんま多分 してるんでしょうけれどもうんなんか調べ たいなと思いますま1号店は確か東京の 府中市だったかながあのドンキホテの1号 店だったと思うんですけれどもまこの ドンキホテ作る前にも2店舗ぐらいまた別 名義の名前のお店とかをしてドンキホーテ に至ってるんでうんまその辺りも興味深い しまあとはM&Aっていうね他の会社を 買うことによってその会社が持ってる ノウハウとドンキホーテのノウハウを ミックスさせてで新しくねその展開して いくあの長崎屋っていうあれデパートなん ですっけこのドンキーホテってこの長崎屋 っていうデパートを買って今まで自分たち にないノウハウを長崎屋から吸収してそれ をドンキホテ の中で活用してそれでその生鮮食品とかに も強いドンキ法廷とかが生まれたとかって いうそういう経緯があるらしいですね僕 その辺り全然分かってなかったんですよね まドンキホーテで 途中から生食品とか売り出したなぐらいで は思ってたんですけれどもま場合によって は肉魚も扱ってるドンキホテあるじゃない ですかうんあまそれその背景にはそっか そういうものがあったんだなっていうこと もきちんと理解した上でうんちょっと ドンキホテ学んでいきたいなって思って おりますはいちょっとまそうやってあの どんどんどんどん僕も運をあの上げていき たいんでねはい ままずまずは学ぶことからですからね運を 上げる上でははいちょっと今そこに時間を ちょっと作るの使うのがちょっと楽しいっ ていう感じでしょうかはいまそんなところ ですかね はいいややっぱりこのあ学ぶっていう スタイルがにガチッとはまった時にうん なんか一気に自分の調子が上がってきます ねうんもう本当 にさ班もう本当鹿児島県さまハのことね そう勉強ほとそう勉強したい欲望はあるん だけれどもなんか見ててなんか楽しくない なという風になって挫折するんですよま 要するにそのわかんないから面白い けれども分かり始めたら勉強って絶対に 面白くなるんですよけどそ分かるように なるまでがま時間かかるんですよただそれ 以外に勉強が楽しくなるポイントね分かる ようになったら勉強は楽しくなるっていう のもあるんですけれどもあともう1つは すごく自分ごになっていくと勉強って 面白くなるんですよねまなので今まで自分 がしてきた ま例えばあれお前の生き方って最後高森の 生き方とすっごい似てるよとかって友達と かに言われたらあれ最後は高森って有名人 じゃんいや有名人と俺の生き方似てんのあ じゃあちょっと最後は高森について調べて みようかなっていう意外とこういうところ からその人物を好きになったりすることっ てあるんですよこれは間違いなくあるうん ましかもその人が有名である必要はあり ますよね坂本馬になんか生き方似てるよっ て言われたらえあんなビックネームと自分 の人生が似てるのじゃあ坂本龍馬みたいに 俺はなれるのかなとかっていうことがこの 自分の何か眠るものを引き出してるんです よだから学ぶ意欲みたいなものも出てくる と思うんです よま僕の合は今回 はこうやって自転車で足旅をしながら実際 に足を運んだあの街がかつてはあの人 が統治してた場所でとかで学びがぐっと 深くなっていくわけですよまここ最近で 言うと僕この40日前ぐらいにねその大分 ぐらいから宮崎から鹿児島の方に来ました けれども大分県とラえ フランシスコザビエルが親密な角形にあっ たっていうところから僕はちょっとまだ 歴史のスイッチがバチっと入ったんですよ ねうんあフランシスコザビエル大分にいた のとかえあ大分の殿様ってキリシタン大名 なのっていうこのキリシタン大名も めちゃくちゃ 特殊な大名じゃないですか変わり者じゃ ないですか で僕はやはりどういう業界でも変わってる 人が好きなんですよだからお笑い芸人でも キングコング西野さんとかオリエンタル ラジオの中田さんとかに引かれ るっていうのはその世界では変わり者じゃ ないですかあんな大きな事務所をやめて 自分でメディア持っ てYouTube持ってでそこ で自分のやりたい表現だからあの人たちは 織田の中田さんも西野明弘さんもお笑いと いえばコと 漫才 えこコと漫才大切りこの3つの競技を制さ なければお笑い芸人として評価されないっ ていう時代が長く続いたんですよね そのうき目に合ってた人たち がYouTubeとかちょっと他の発信の 仕方とかで活路を見い出してその自分に 注目を集めるようにその奮闘していたわけ なんですよね まキングコングさんに関して言え ばねM1とかで漫才では評価されてた けれどもけれども いや大切りしろよとかって いう空気が漂う大切りができなければ芸人 じゃないだろっていう空気が蔓延して るっていうところに息苦しさ感じてたりと かうんいやコントにもしてなんぼだろう 要するに漫才コント大切りには常に挑戦 する姿勢を見せるのが芸人だろうっていう この空気に気がさした人たていうものが その変わった方向に向かって活動し始めた その後ろ姿を見てあなんか素敵だなと思っ てそのオンラインサロンとか入ってま僕は 追っかけてたりしてたんですけれどもそう 大名ね江戸が江戸時代にも大名っていうの がいた時になんかキリシタン大名っていう のがいるらしいぞっていうのがやっぱ僕 めっちゃ面白かったわけですよだからね そこそのキリシタン大名の大名詞にも なる ね大友総ていう人のその人のお墓にも行っ てねキリスト教用のお 墓に入っているそこの墓地にも行きました し うん で鹿児島県のその島っていう 島県のさ班っていうこの鹿児島県にもえ 島津なり明っていう結構変わり者がいた うんまちょっとまだ調べはしてないです けれどもじゃどんな変わり者だったの かっていうことを勉強していく上でうん なんか もっとうん変わり者であるべきだなって いう風になんか自分自身なんか改めて思っ たしあの変わり者とし て変わり者として財を築いていくことをし なきゃいけないなと思いましたねうんそう ちょっと今そういう風に思い始めたかな 変わり者として生きれたらいいって終わっ てた気持ちが変わり者として名を売って いくとか変わり者としてお金を稼いでいく うん決して正当な真正面からのやり方では ないけれども変わり者だからこそこういう 稼ぎ方ができたとか 変わり者だからこそこの地位につくことが できたとかうんまあとね意識する変わり もの意識的に変わったことをいくっていう こともあるかもしれないけれどもまあの ジョン万次郎みたいにその量をしてた時に 相南してアメリカの船 にね助けてもらってそのままアメリカに 行ってで公開技術とか英語とか身につけて でゴールドラッシュであのゴールド採掘し てお金作って日本に戻ってきてっていう そういう破天荒差の変わり者もいるわけ じゃないですか うんいやけれどももちょっとその変わった ことで材をなしていくそういう運を身に つけなきゃなっていうマインドに今はなっ ているっていうはい感じ でいや何度でも何度でもうんまスタート トデですよねいやなんいついかなる タイミングからでもよし今から始めてやる ぞっていうねそういう気力が湧くっていう ことはま僕はすごく大事だと思ってるん ですよ45歳からスタートする46歳から スタートする56歳からスタートするって いう常にここからじゃあ行こうかっていう 風に思えれるようなこのスタートトデ的 なマインドっていうものをね忘れずに生き ていきたいっていう思いが強いタイプなの でうんまここへ来てうん歴史っていうもの をバにうん稼ぐ力をうん強くしていく なんか今はちょっとそういうモードになっ ていますのでやはりこの旅先でうんすごく 自分の体になんか活力 をなんかもらっているそのやっぱりね なんかま歴史に歴史を学ぶことでなんか やる気になったりしてるわけですよ僕の 場合は学ぶことで歴史を学ぶことであ 頑張んなきゃなっていう風に思わされてる んですけれどもまそれもそのその土地 ありきですからねその土地があってそこに 文化が花開いてそこで生きた人たち の考えてきたことていうものが色々な形で 残ってるわけじゃじゃないですかお城が 残ってたりその小水した川の跡が残って たり氾濫するからちゃんとこういうの作ん なきゃいけないよねっていう感じ でそれがそのままその土地に気記憶され てるじゃないですかでその記憶されている 土地に足を運んで過ごしやすい街だなって いう風に感じてるてるいうことはまやはり その街に眠っているエネルギーパワーを やっぱもらってるんでしょうねて思思う 感じることが多いうんまだから石油みたい なものをねこの地中とか海の中ね掘って そこからね ちちちち石油を組み上げてねそれを エネルギーに使ってるわけじゃないですか 石化石燃料エネルギーみたいに呼ばれるも のってその何万年前も のエキスを地中から吸い上げて今の テクノロジーと合体させてるわけじゃない ですかうん今のテクノロジーがそのまんま 動いてるっていうよりもま車がそのまま 動いてますっていうよりも過去の化石燃料 とフュージョンさせて車が動いたりする わけじゃないですか うんそれ の学問バージョンもあるんですよ学び バージョンって言えばいいんですかねうん まだからやっぱ歴史を紐解いてるっていう ことはなんか化石燃料を発掘してそれを 自分の動力にしているこの動きと非常に似 てるんだろうなってつくつく思いますね金 は うんでま僕の場合はね岡山県で取れる化石 燃料よりも九州で取れる化石燃料の方が 割と自分の動力になってるっていう風に 思い当たる節があるうん九州に来てから それこそ福岡県大牟田市の炭鉱炭鉱の街と かに行ったとあたりからかなうん うんその土地どの土地のどの歴史に触れる のかによって自分 の燃費も変わるしなんかパワーも変わる ような気がしてるうん九州は多分僕はなん か相性がいいよう なところがあるかなうんまやっぱり自分の 父と母が育った方のエリアだからまに ルーツがある方のエリアだからまひょっと してそうなのかもしれないですね うん ま頑張っていきましょうかちょっとま今日 はもう事務仕事というかねもう準備しか あとどっか行きたいところあるかなま昨日 も色々ね その霧島市でなんか行きたいご飯屋さんと かあるかなって調べたんですけれどもうん 今のところちょっとまだ見つかってはない んですよ ね うん まあ鳥鳥なのかなとか結局鳥をどこで鳥を 食べるのか鳥の叩きを食べるのかなって いうその辺りなのかなとは思ってるんです けれども結構ね温泉がいっぱいあるっぽい んですよねこの辺りでま今日はねあの昨日 もジョイフルで1夜過ごしてたんであまり 寝てないんでもう今からその温泉入りに 行ってでお休み所が結構広くゆったりし てるお休みどこを備えてる温泉銭湯があっ たんでまちょっとそこに移動して今日は もう準備とあの体を休めるっていうことに 時間使ってで一応明日は10時の飛行機に 乗るんではいま朝のライブ配信は8時から できると思うんですけれどもままた鹿児島 空港の方からライブ配信をお届けしたいと 思いますがまちょっとま周りも霧島市内も ねまちょこっと散策はできるんでままた その辺りの話は報告したいなと思います はいまあねあの人は必ず染みますうん でねそのそうだから昨日その死んだ友達の ことをそうやって思い出してたわけですよ 1919歳でなくなる人生かと思って けれどもこうやってあの語り続けるやは いるわけですよ今その僕の同級生でこの 19歳の時に亡くなった友達のことをこう やってYouTubeで喋ってるやつとか まそれこそ会話になん会話に出してるよう なやつなんかいないはずですから ね確か鹿児島出身だったよなとかお墓に あの京店愛人って書いてたようなそういえ ばねその両親が鹿児島出身でで京店愛人は 最後高森の大切にしてた言葉だからあ やっぱり鹿児島 のなんか血が流れているお墓なんだなとか そんな話してるやなんかいないいないん ですようんいやけれど もなんか ね自分が亡くなった後になんか自分のこと を語ってくれるやがいるっていうのって なんか僕はいいことなんじゃないのかなっ て思ってるんですようん志村健さんが 亡くなった後も志村健さんのことを語る人 ってたくさんいるしうんで座長クラブの 上島さんみたいに自分で命を落としたよう な死に方を選んだけれどもけれどもその人 が生きてきた 時に残したお笑いを 語り継ぐ後輩がたくさんいたりっていう風 にやっぱりね亡くなったとしてもまそれは 自分の両親とか自分 の両親もそうだし自分のしいちゃんばあ ちゃんもそうだけれどもま僕も 割と自分のばあちゃんの亡くなった方の ばあちゃんのこととかはねここでもよくお 話することはありますけれどもうんでま あとは歴史上の人物とかも亡くなった人で はありますからねうん亡くなった人のこと を語りながらもけれどもなんかその時の あの場面を思い出しながらあこんなこと 教えてもらったよなとかあんなことをた 一緒に楽しんでたよなって いう思い出 をなんか今の力 にうんまその思い出がやっぱり今の力にも なってるっていうことかなうんまだから なんか色々思い出しましたもんねその当時 の友達とのことをうんま本当によくいた 友人だったのでねまけどそれをこの鹿児島 で思い改めたというか思い出せれたって いうことはなんかちょっと良かったことか なと思いましたんでまあねま僕が亡くなっ たらあの僕のことを語る語りしはこの毎日 のYouTubeの中にいくらでも残して ますのでねうん石川県金沢市に行けばあ そういえばあのねイス山文海寺さん金沢で こんなこと言ってたなとかあ東京に行っ たらあ東京に行ったらイス山文海児さん 東京のでこんなこと言ってたよなって僕 ありとあらゆる場所であらゆること喋っ てるんで もう 思い思い出に登場する回数を増やしていき たいわけですよ皆さんの思い出に登場する 回数を増やす行き方を目指してますので いろんな場所でいろんなことを 思い出すうんキリを買っただけでもあそう いえばイス山さんイス山文さんキウリは 炒めると美味しいって言ってたようなとが ありとあらゆるところに僕は出てきますの ではいそういう生き方を今後もしていき たいなと思いますまそれでは皆さんえ7月 1日新しい月が始まりましたのでねあの 新規一点気持ちを改めあのスタートするに はいいタイミングですそれは運がよかれ運 がわかれで ダラダラする生活リズムとかが身につい ちゃってる人っていうのはこのありつ日の 力をすっごく利用してくださいねうんもう 一旦ダラダラしたま新しいノートを使い 始める感覚に近いんですよ11日ってね 新しいノートって綺麗に使おっていう風に 1回マインドセットされるじゃないですか 1日ってそういうことなんですよだから僕 らは大体30日に30回に1回一応 マインドセットできるタイミングっていう ものを迎えてるんですよだから1回7月1 日にちょっとダラダラとなけモードとかに 寝てねゆるゆるモードで生活してた人とか はあ一旦ここでちょっとけじめつけてえ 英語学習ずちょっとダラダラしてたけれど も一旦7月1日からもう1回英語学習あの きちんと向き合おうていう風にうん姿勢を 正していくはいっていう風な使い方も できるしあ1日にな1日まで頑張ったから こ先月まで頑張ったからじゃあ今月1日 から来月の1日までの1ヶ月間はえっと ゆるゆるモードで行こうまだから食べに 出よう温泉行こうえっとサウナ行こうガ板 浴行こうっていう風に次の1日まで1ヶ月 間をそのリラックスするような時間に使 うっていうこの1日1日っていう区切りを 上手に使うはいそういうこともそういう 意識も大切にしてくださいだから僕は1日 になると一応運気の話はしますうんあの 区切りをつつけるためにねはいっていう 感じでえ今日のライブ配信は終わりたいな と思っておりますはいそれではコメント職 にの皆さんどうもありがとうございました 素敵な1日をお過ごしくださいではまた 明日

【旅の記憶/Googleマップに宿泊、飲食、温泉、道のりすべて記録】
◆第16章/大分、宮崎編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1JqLUJ3yYpH3nBP0uc9dW6zYy-Dk-2V4&usp=sharing

◆第15章/京都、名古屋、東京、埼玉、富山、金沢+青春18きっぷ(春編)編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1cCxl57UiC5rscHJGAPDpu5xy999JxH4&usp=sharing

◆第14章/九州編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Ru7ehebzPL2NK3infkyo1_H-ohvH5hc&usp=sharing

◆第13章/埼玉、長野、東京編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1tqvR55UXKtaH4AFGb7LtJrIrtvfED8c&usp=sharing

◆第12章/四国・神戸・山口・福岡編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=11OHc_PgipWkJ4CuqqLogTfUT0tj_rEE&usp=sharing

◆第11章/新潟編〜和歌山編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1BFKpZF1Eik2G7rLTLEBJeCoWNaKqxG8&usp=sharing

◆第10章/関東観光〜金沢、富山編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1bd699Mzi2n37BY99k58fk9h2WCQzwoQ&usp=sharing

◆第9章/東京・千葉編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1I-92OH-ymnbfPYf-1MuOMpYiiH9YbHU&usp=sharing

◆第8章/仙台・盛岡・山形・東京・埼玉編+青春18きっぷ(冬編)
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=10yf1Nr_ZKVXtzZGCCljUw4165WXJhnI&usp=sharing

◆第7章/北海道編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1lKG95UxjHFci-4z-BIkTpel-RtVTTJ8&usp=sharing

◆第6章/山形〜秋田編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=19H1LXFxukCxl9U0IZurJ7-Rg1FQCTc4&usp=sharing

◆第5章/新潟編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Jo8B_3PFZU_T6MN0MEGxByIZv_Z1TM8&usp=sharing

◆第4章/金沢〜富山編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1rrh8m-LOIU2UN8GOsRb_G4Q8suzOpq8&usp=sharing

◆第3章/福井〜金沢編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1QjuWpqNN8rwsz0kPseU7I82Q3jDVfc0&usp=sharing

◆第2章/金沢〜福井編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1AutBpRAlA1u4NulL33LmZLhYD3AmV3E&usp=sharing

◆第1章/東京〜金沢編
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=17F5T61hcfZAr6Log7IJ1HK0N4fbTesMI&usp=sharing

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
#自転車 #旅 #日本一周 #テント #キャンプ #日本一周 #観光 #旅行 #ubereats #配達員 #ネットカフェ #快活クラブ #ノマド #ノマド生活 #ノマドワーカー

Write A Comment