上田の仏像をめぐるバスツアー

[音楽] [音楽] あ [音楽] えっと上田市の教育委員会でえ上田市内の 仏像各お寺それから集落のお道いろんな とこにある仏像をお大6年かけてずっと 調査してきましたそれでその中でうん大体 1500体ぐらい仏道調査したんですけど も本当にえ貴重な資料が得られましたで その成果をえ広く市民の皆さんにえお知ら せしよう一緒に勉強しましょうってことで え今年今年度の冬ですねえ来年の1月から 3月にかけてえ上田私立美術館で上田の 仏像店ということでえた仏像大え70点 から80点ぐらい展示してえ大きな仏像点 を開催する運びになりましたえ今日の仏像 のツアーはですねまその中でも おその出品が叶わないえ仏像ま特にお寺の ご本尊とかですとねうんなかなかお出しに なることも難しいですしそれからまお寺の 宗教的な理由でえ外には出せないっていう ところもえございますんでえそこをめろ うっていうことさらにえ上田市のそのう 仏教文化のま原料的なところですねその 地域の山にいる神 様とう仏様の教えこれを神と仏をこう一緒 にえ崇拝しまた守ってくというそういう 不況の展開をしをしてます上田地域では 特にえ真田にあるあさんこれを香川の白山 に見立ててえ広める白山進行ってのが広く どうもあのルフされてるようでありまして まそういったあ山仏大和神様山と上と仏え これをテーマに今回上田市の延辺部ですね え山の麓にある仏様を巡るツアってことで え企画しました [音楽] え今日はねここであの11面観音さんと バト観音さんえ見せていただきますけども 今日はあの特別に奥の方にねえ用意して いただいてあり ますえっとこれが長野県の指定文化財の 11観音さんですね あのこれ元々はね あの真田の谷街のとこに山が神社ってある んですけどもそこに白山寺っていう1番 最初バスの中で行った白山神社の白さ寺 ですねと山が神社は昔並んでて江戸時代 それがあの新物分離例であのきちんと分け たんですねでそのうち白山寺にあったえ 11面観能はこちらそれから仁王さんはね え掛の門道の脇の薬道っていうとこにかの ね薬ってなんですけどそっち行ってたり いろんなお寺に白さ寺 のお寺のね仏道なんかが分かれましたで うんこれはあの見るからに平安時代の見る からにつってもねあのなんとなくなんです けども平安時代のこう非常にこう穏やかな 掘をした11面観音さんですねで面観音の 化身が白山大権源そういう関係で えこちらに白さ時にうん11面観音が待 られてでえこちらのお寺にえ伝わってきた というとこですだ白山信行と天台主のお寺 って我々ねくっついてきてるんですよあの 例えばね あの北向き観音さんま行かれると思います けども北向き観音さんもあの広い庭って いうかねあそこから崖の上からねあのも 正面にこの屋さんが見えるんですあそこ からあさんをこうはかに拝むて廃ってこと をやるんですねそういうところに我々天台 集のお寺があって今日行く次にこ小山も そうですねはかにあさを望むってことで [音楽] このお寺のね開いた人は行っていうお坊 さんで伝わっていいんですよねあの行って ならの大仏様や大仏をねえ天皇に命令れて った人であのその時代にここの地域にはね あの国営の牧場があったんですね地名にね マとかね馬とかねつく地名がいっぱい残っ てるんですよおそらくここにはあの古代の 栄栄国営の牧場があって本来はそういった ことからこのお寺の本当のっていうかま 本尊はこのバト観音さんって言ってもいい のかなっていう風に思ってますねただこの 仏様は非常に優しい顔して あの馬頭のね馬もあの綺麗ななんかチェス のコマみたいに綺麗な馬掘り出されてます また後で近くでご覧くださいで今日はあの 特別にご住職にお願いしてあの死体下ろし ていただいてます本来はこの上にあるう 観音道でね観音道にえお祭りされて てこのバトさん小さいんですけど観音 大きいですよこう崖作りのね観音があって [音楽] た [音楽] こんな山の中にこんな立派な仏様が忽然と 現れ てこれあの里にしててねあの京都へ奈良の お寺に置いといても全然遜色ない仏様だと 思います千住観音像ですね上田市の指定 分化像になってます あの千って1000本の手なんですけども あのねえじゃねえかって言われるんです けど後ろのねある1本の手がね あの1つで25って数えるんですねでそれ が40本20本ずつ入っててああそうだね で40下25で千住観音っていうそういう 省略の仕方をしますそれで高さはねこれ 全部で33m 18cmこの仏様だけで230cmですね で本当に大きくてあの日本人の最高身長と 同じぐらいの大きさですで あのうん作られたのがね平安時代の中頃だ からね今からもしかすると900年ぐらい 前まで遡るかもしんないっていうことです でなんでこんなところにこんな仏様がある かって言うとこの一体がどうも昔少なく とも14世紀にはあお寺大きなお寺がここ にあったんだろうっていう風にえ推定され てます最長と空海ってこれ日本の仏教会の 大スーパースターですけどもその最長があ 比山からあ群馬県やね栃県の方にこ日本に こう不教天台所を広げましょうっていう中 でどうも長野県を通ってるんですねでそこ ら辺の生殺があのこの英山対地点ってこれ ま日本語だけしか言いよがないんですけど もえにあってそのその中に出てくるう品野 の国大千治ってのが出てくるんですよそこ の坊さんが最長を助けたとうんでその大 千住はどこにあるかっていうので今までは 茅野市の豊平地区っていうところが有力 だったんですけども最近どうもそのこの 小野山のここがこの最長のを助けたえ シナノ大仙寺の承知っていうお坊さんです ねがいたとこなんじゃないかっていう風に 言われてますそういった意味でこのお様が ここにあるっていうのは歴史的に見ても 大変重要なあところであります [音楽] [音楽] はいこれあっとここ少年寺 の網田三尊像ま三尊つっても両脇のねお様 はあの新しいもんですけどもあのご本尊 うん金ピカであのパっと見ると新しいもん かなっていう風にえ思うんですけどもあの よくよく観察するとこれもやっぱり12 世紀え平安時代の終わりまで遡る仏様だ ことが分かりましたなんでここにこの仏様 があるのかってのはまだあの理由付けが まだできてないですとにかくありますって いうことでねあの改めてこのたの お集落っていますかねえのその発展の中で どういう風にづけられるのかってのはこれ から先の話ですけどもあのそもそもたし っていうえ武士の部に石って書くたけし っていうのはどうも 千葉た市っていう千葉から豪族がた入って きてそれからここ の谷のねえ開拓をしたようなんですけども まおそらく12世紀に開かれてその後から ずっとそのあ信仰とかね 極楽上土教の教えの中でこのお寺営まれて きたんだろうなっていう風に思います [音楽] こちらの国造道の中にある国造さをねえ見 ていただきますけども国造道の国ってね あのま果てしない宇宙みたいな意味なん ですよそれであの国造さ国造菩薩ってのは まあの仏様のこう段階なってく段階の中で 1番最後にたどり着く境地だとも言われて ますそのぐらいあの力の強いえ仏様ですね でえこの中にえ国造菩薩が安置されてます でえこれ国造道も室町時代え文明18年 って言いますか15世紀の終わりですねの 建物でえ重要文化財指定されてますから中 にあるこれからあの見せていただく国造 菩薩もまほぼほぼ同じ時期この小道の裏 ちょっとよく見えないですけどこの裏が特 山なんですね これからあのこの後中前寺の方へ回ってき ますけどもこの本当に真裏がとこさん超え て真裏が中前寺にえなりますでその中前寺 の近くにやっぱり国造道があってどうも やっぱあのとこ山の峰を挟んでえ北と南側 の裾にえ 国造進行の道があるで特さの峰がおそらく 国さ菩薩のってことでえ進行されてたん だろうなっていう風に思います [音楽] [音楽] [音楽] はいありがとうございます今あのここの5 本尊の国造菩薩座像ご会長していただき ましたどうぞ [音楽] 国造菩薩はあの新本州のね攻防大子空海が 1番最初にこう目覚めた時の仏様ってこと であの新聞州では 数多く進歩されてますけどもここはあの 天台州であの資料にもねえ天台州 の縁人があ全国に7つのその 国造の霊地を作ろうってことでねその時の 資料が載ってますけど その中の4つ目に丸子の内村っていう地域 なんですけども今東内って言ってますけど も出てきますであのこの文明11年とか 15年って出てますからやっぱりです町 時代にここにえそういったこの国造丼がね おそらくあったんだろうっていうことがあ 文書でも顧問所でも分かります [音楽] ここがあの最高寺っていうお寺の仁王門 ですこの両方に仁王様がねえお寺 のを守る仏様としてえ運の って正式には言いますけども ねこっち側があって口を開いてますで こっち側がうんって口を閉じてねえ物事の 始まりと終わり日本語で言うとあから 始まってんで終わるっていうことなって ますけどもそれでこれを今日今日ここにね ご案内したのは全然山もねえじゃねえ かって話なんだけどこの仁王さんは実は あのえ須坂の米子不道から来てるん ですさんがあります今日何もてるこれが 白山進行の山だよって言ってでその ちょっと左上んとこに米子不道っていう ありますでこの夜長不道もあの白山から 出る白山じゃないあさから出る水をの滝が 大きな滝があるとこなんですねでですから 大きな意味でこのあまさんに対する白山 進行の1つでありますでこの夜不道にあっ た仁王さをここへ持ってきてんですよ あの説明版にも書いてありますけどもあの 法令年間って江戸時代にえあこの日本さん はその鎌倉時代のものですねで非常に そのある意味こう射術的っていうかね肉体 をこう茶実的に表すのところから少しこう 崩れてデフォルメが始まってるような感じ になりますけどもえっとそれを夜長不道 からここへ江戸時代に持ってきた それはあの夜長不道がちょっと経営的にね 厳しくなっちゃったらしいんですねであ そこがあのこの最高寺さんにま譲り渡し たって言いますかあの次に行くね中前寺も 仁王さん立派なのありますしこれも鎌倉 時代の仁王さってことでまたまたまえ白山 進行の仁王さがここにも来てるってことで え今日ご紹介で来ました [音楽] ST [音楽] [音楽] あの大変貴重な文化もありますので今日は え中田の方から色々なえご説明があると 思いますのでえゆっっくり見ていただけれ ばと思いますどうぞえよろしくお願い いたし [音楽] ますえ最初にこの仁さんですねさっきあの サイコ寺で見た通りアの形え口調してます で体がねこう真っ赤っかにぬるめられてて 本当にうん30年ぐらい前までは金星の もんだという風に思われてましたけど あの奈良の国立博物館の先生が来てね調査 したらいやこれきちんとはげばうんちゃん としたやっぱ平安時代の終わりか鎌倉時代 の初めの仁さんで間違いないでしょうって ことでえ分かりましたあのさっき見て いただいたねあの最高のさんよりは筋肉の 表現とかね絵門の表現なんかはかなりこう 穏やかな感じになってますと言ってもあの え鎌倉時代のま東大寺のね仁さんみたいに こう筋骨流流って感でもなくてやっぱ平安 的な穏やかな感じ の仏仏様になってますあのえやっぱどっか ちょっとこう都風って言いますかねそんな 感じの仁さんですどうぞご覧ください 今の仁王さんがま平安時代の終りか鎌倉 時代の頭ですね12世紀でこれもこの王道 も中前寺の薬堂もやっぱり同じ時代ですで これからあの配管させていただくえご本尊 の薬新の来も平安時代から鎌倉時代の頭 こう12世紀の物造がこれだけセットに なって残ってるっていうのはあの長野県内 でもかなり珍しいです えっとこれもね11世紀の特徴的なあの 仏像ですねあの堀が穏やかであの宇の平等 院の報道にねえあ様作られた上長っていう 物資ですねがあ作った仏様が1つの日本的 なスタイルとして確立されてその流れを 組むもんであります非常にあのそういった 意味でもちょっとこうのっぺりした感じは ありますけども都風な感じです 薬師堂の修理の札にあのこういう名文が出 てきてます薬師の来と千住観音と不言菩薩 がうんあるっていう風にこの札にはうん 書いてありますそれから薬種の眷属の12 新書さっき見ていただいた小さいやつです ねこれから自蔵菩薩国造菩薩と尿酸があ るっていう風にこの赤字でねうん書いて ありますけども千住観音はその今そこに あるね千住観音え自蔵菩薩はこの5本尊の 自蔵菩薩ですねえこの自蔵菩薩も鎌倉時代 の自蔵菩薩まもしかすると親さんと似たり よったの時期のやつかなっていう風に思い ますであのこのお寺の3号は竜王山だね 竜王山だあのドラゴンキングなんですよ竜 の王でねでドラゴンキングだからまさしく その雨の山ですね竜雨をふらす竜がいる山 の中前寺それからそれと隣にあるあ後で こっちから見てください塩の神社よく神宮 寺っていう言われ方しますけどその塩の 神社と神宮寺である中善寺それからこの特 さんこれがこう3体となってですね1つの 大きな宗教権を作ってたんだろうなって いう風に分かりますやっぱ12世紀に遡る う宗教権がこの中前寺の周りにあってそれ で特さを中心とした山岳信仰のこう現象 1番最初の形態って言いますかね えま仏教と真と神様と仏様と神様とそれ から主っていうねえこのつの形態がこう ここで混ざり合った姿をしてるんじゃない かなっていう風に思いますまでも本当に 例言あかな竜王山です竜と住む町上田の 本当に中心的なねお寺で本当に歴史的に見 てもからこう空間的に見てもほあの潮田と か上田のね宗教権のど真ん中に位置する うんお寺かなっていう風に思い [音楽] ますえなおその上田の仏像店ですけども1 月の11日からあ3月の9日まで約2ヶ月 開催してますのでえ是非この機会でないと 見れない仏音も出てますのでえお越し いただければと思い [音楽] ますDET

6月15日(土)、令和7年1月に開催される「上田の仏像展(仮題)」のプレイベントとして、市内のお寺をめぐり、仏像や関連文化財を紹介するバスツアーが開催されました。

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