(1/2)江戸時代の旅行ガイド本を見て、昔の東京観光を再現してみた!【三日目 浅草篇】

ここすごい面白い野菜が大切にされて るって言った けど見て 左ご自由にお持ち帰りください えお寺でももらっちゃっ た言葉が出ないね初めての経験かも皆さん こんにちはスマニューストリアのダリア ですもうはさすがに駅の紹介いらないです よね私はまたまたバロ町に来ています今日 は東京江戸散歩の3日目ということで当然 ながら当時の江戸時代の人たちが泊まって いた宿泊施設がいっぱいあったここ暴露町 に来ていますで前回はこの今流れてる 江戸通りを江戸城方面に登って歩いてたん ですけれども今日は逆なので新しい景色見 られて当時江戸時代の人すごく楽しみにし ていた場所がもうたくさん詰まっていて 面白そうな1日になりそうです [音楽] 皆さんは今年の夏の定はもう決めています か温かくなってどこか旅したくなる季節の 到ですね実は旅行を楽しみにしていたのは 江戸時代の人も一緒です今回は旅ブームが 起きていた江戸時代に江戸訪れたいと人 向けに作られた当時のガイドブックを参考 に旅人の観光ルートを再現してみます全 工程約13kmもある長い工程ですが江戸 時代の人の気持ちになってき ます史に埋もれてしまったかつての名所 そして今でも愛され続けている名所新しい 発見がいっぱい [音楽] ですちなみに今私たちはどういう東京の 位置にいるかというと今私のちょうどま左 を大きな江戸通りが走っていてでその真下 に地下鉄のあの総部線が走っていてでもう ちょっと私の背後ま大体3分と5分ぐらい 歩いたところに都営新宿線がこの江戸通り をこう区切るような形で走りでさらに私の 右側にもうちょっとあの川の方に進んだ ところに清すぎ通りがあってそこに都営 浅草線が走っていますちょうど三角形を 作るような形にここ3つの路線が走ってる ん ですこの地図に収まってない大体この辺り にいてでこれからはこの橋ここにあるん ですけれどもここ川渡ってしばらくこの 浅草線沿いをこの戦争寺まで歩き ますちなみに私たちの散歩ってもう しばらくずっとこの暴露町駅からスタート するじゃんこの馬町駅も意外と面白くて あの国鉄時代に国鉄の中で1番深いところ にある駅だったらしいでその当時1番高い 駅は逆に長野県のあの務線の信山駅だった から結構関係が良くてで暴露町駅の中その なんか改札の手前にあの長野県さんの白樺 のオブジェがあるらしい今ちょうど シャトレーゼの看板にスカイ釣りが隠れ ちゃった皆さん行くとしたらスカイツリと シャトレーゼどっちがいいですか私ね多分 シャトレーゼだと思うケーキ大好き シャトレーゼのケーキ美味しいよ特に チョコケーキが好き 今桜橋の手前まで来ましたで私から見ると 反対側に1話目に登場した軍隊屋敷跡の その看板があってで左側に先ほど歩いてた 暴露町駅があってで私今向かってるのは この橋から右側に沿ってちっちゃい見所が あってそっちに行き たいこれねこの浅草橋と結構関係の深い 神社なんだよね これあれ近近いさあ これ初音森 神社さそうさここの地域って昔初って呼ば れてて森があったんだよねそうでそれが 初音森神社で昔ここすごく広くてもうここ 辺り全部この神社の経だったんだけどこれ 作られたのは 1332年だと思う結構昔でねそうで江戸 時代までにここ大きな携帯を持ってたんだ けど幕府がここに移動してでそん時に徳川 イアスもいろんなもんを作り始めてでそん 中で彼の孫がここで大きな門を立てるため にこの神社の軽での半分ぐらい使ってで その後大きなあの明暦の対価でここは結構 消失してその後でちょうどあの軍隊屋敷が 立てられたっていうことで一旦こっちがね 移動をくりさせられてしかもそれが住田側 の反対側だったんだよ当時橋がないんだよ 船でいこい持ってたらしいただそれでも なんかちょっとこう元の場所に全く何もな いっていうのが残念だったらしくて 1948年ぐらいにここにこうちっちゃい 神場をもう1回立てたんだっ てすごいビルに入ってビル珍しいよね私も 今見てさあのどう状況のかなと思っ て本当に建物の中入っ てる稲様だね江戸時代は稲荷進行がすごい 流行ってたからあまた登場じゃん そうあ見てこの右側の子子取りだよ小さな 抱こさんもいるじゃんおだね なんかジみたいなそうね前掛けじゃなくて そういうエクレスみたいな感じ でこれからは浅草橋を渡ってで浅草橋の とろにあった大きな門の後見に行く やっぱり江戸時代の人って江戸上の門に すごく憧れを抱いてたんだろうねのもんと さ稲神社ばっかりそうなんだよね稲荷神社 に関してはもう当時すごい進行があって 確かあの江戸の街の中で見られるのは なんか伊勢屋とあの稲神社と犬のって 言われるぐらいすごい多かっ た面白い例えだけどあここ書いてあるね [音楽] 浅草橋正直思った以上にちょっと小柄だっ たよなんかあの地図見ると神田川って結構 これ神田川だけど神田川結構大きいから てれなんかもう大だと思ってたら思った 以上に小柄で1回過ぎちゃった 今見て船いっぱい あるこういうの乗ったことない ねここねなんか個人的にはすごく東京 らしい景色東京ってその高層ビルの イメージがあると思う特に外国人の中では ただ個人的には知ると細かく川がたくさん あってなんか100個以上ぐらいあるんだ よね東京都って川だからこういう川がもう どこも見えるっていうイメージがあるかも しれ ないこれは1番目の見所江戸時代の人の 浅草見つけあ見つけてのはここまそういう なんかセキュリティみたいな人たがいたん だそれが見つけだからここに大きなもが 立って たここどういう感じだったかというと こんな感じほら門があって橋があって本当 だ気軽に渡れる感じじゃなかったの かそうかもしれないねまでも確認は結構さ れてたと思うよ川の前そうなんだよこれは ね理由があるけどそれはまた別の動画で 話すのが面白いでここね確か使えるのは 庶民だけだったけどここ結構賑わってた らしいよこの辺りお店があっ て手前に見えるのはJR総武線の高架橋な んですでこの辺りは浅草橋駅なんです けれどもこの浅草橋駅は関東大震災の復興 事業の一環としてま9ピッチで進められて 作られた駅なんですけど何で作られたと 思う 何かまキピチで進められて当然ながら あんまりこう作る予定はなかったんだよで そこで屋根をあるもので支えて作られたん だよ何で作ったと 思うこれ実はね レール古いレールを使ってでそれであの駅 の校内の屋根を作ったんだってで今もその ホムのところにレールが立ってるんだよ 壁側とか見るとそれがね明治時代のレール になってるから海外のものばかりなんだよ だから海外の会社が書いてあるんだよ イギリスとかドイツと か面白いよ ねこの浅草橋駅辺は庶民が集まる場所だけ あっていろんなお店も立ち並んでて江戸 時代はそういう人形を売ってる位置とかも 開かれてた らしい今もあるらしいんだよねそういう 人形のお店 今日の散歩はねなんとなくだけど江戸時代 の人のテーマパーク巡りみたいなものだっ たんじゃないかなと思う今まで行ったのは 名所だけど今日歩くとこてもうすごい 賑わってた繁華ばっかりしかも吉原遊郭と かあの初めて日本来る時にさ書類送った じゃんああDだったかそうDすごい早かっ たよなんか次の日までは言ってないけど かなり早かったよねうんあの国際郵便より はちょっと高いけどうんなんか早くて丁寧 で良かっただね私覚えてるのはそそれ多分 ウクライナの問題だと思うけどなんかあの 歩いてるこういう風な道の土地お店から 帰る途中になんかDHLあるなってことで 渡されたんだ よ本人確認悪いやされてはいるけど道のど 真ん中で渡されると思ってそれすごい覚え てる確かだと思うよ私その 時もうエドバッフにとってはもうなくては ならない存在だと思うこれねここら辺はあ 書いてあるね天文台後暦のための天体観測 する場所であの日本初めての地図を作った 人いるじゃん千葉県出身の人そうこの人は ここで勉強して日本地図を作ってるんだ そうだから江戸時代の棒読みはここで計算 されて作られてたと言っても過言ではない かなり長い 間すごしそうこれ 桃何これ見ると食べたくなっちゃう多分桃 だと思う よ今私たちはこの戦争寺方面へ浅草戦争に 歩いてるところなんですけどここの交差点 こねまっすぐに行くべきなんですけど実は ここ右側のこの広い道に行くと1個の跡が あってそこだけ覗いてから元の通りに戻り たいと思い ますもう味さ終わっちゃったねすっかり 季節が変わっ たああれっぽいね待って えっと 浅草倉前そうだね倉前じゃない倉跡ここね 今はこういう風になってるでしょこれ江戸 時代に戻すと何かなんか不思議な施設 みたいなの置いてあるじゃんこれはねあの 税金として取られたあのお米を保管する 場所だったんだよでこのお米を当時役人 ってお米で給料をもらってたでここであの 67等の大きなコクラがあってでその米 もちろん多分売られてたと思うから結構繁 買だったと思う よ当時ってあの役人さんたちお米で給料 もらっても江戸時代ってお金じゃん今お米 渡されても嬉しいけどそんなんであの 食べ物買えないじゃんだからあの特別な人 たちがいてでその人たちがそのお米をお金 に変えてでいろんなところでお米で税金 取ってそのお米を売ってでそこでも税金 取ってかなりもう莫大な当を築いてここで 合有してた人たちだったんだ よこれは隅田川で反対側に綺麗な東京 スカイツリーーが見えてでその反対側も 本当に目の前に大きなコクがコクが 立ち並んでたんですよこれどういう形式 だったかって言うとこれ実は不学36系に 書かれてるんだよおがより両国橋夕姫と いう絵でしっかり収められてるここのクラ 形並んでるその 景色毎度馴染みの 家門 生き返る夏はもうここまで暑いと水じゃ なくてお茶の方がなんか飲んだ感じがして おいしいんだよ ね今この辺りにいるんですけど これから目指すのはちょうどここ綺麗な 感じに書いてある東本願寺 ですこの左側のすごくおしゃれな建物は ライオン株式会社の本社なんですよ私いつ もクリニカでお世話になってる会社 ですこのライオンのマスコット キャラクターがすっごい可愛い ねなんでラインだんでラインなんだろうね でだろう ねこれでなんでこの駅名は倉前駅になっ てるか分かるねここお米倉があってでその 街が倉前と呼ばれてそこから駅名が来てる んだねちなみにこの右の建物はもしかし たらだけどそれこそ江戸時代のクラを イメージしてこういう装飾になってるん じゃないか な私やっぱりこういう風にいろんなと歩い てんもう的には結構大変なんですけど いろんな東京を知れるんだよね今まで行っ たことない場所とかあと行ったことある けどあまり歴史気にしてなかった場所とか また別の方向から見られてすごい 楽しいさあここでせっかくだからちょっと した雑学知識当時江戸時代っていろんな人 が旅してるじゃんうんただその時の人に とって国内旅行って今の海外旅行の価格に 相当するような効果なものなんだよねうん どうやって庶民も旅行に行けたと 思うどうやってそうだって庶民っってそこ までお金稼げるわけではないじゃん稼い そこね江戸時代の人って1個面白いの作っ たそれは校っていうもので例えば富士校と かま伊勢校例えば伊勢神宮に行きたい人と かその人たち行きたい人が団体で集まって お金出し合って1人ずつ行ってたっていう 事例があるらしいうん 東京で村があってその村の人たちがあの 毎年いくらかで出し合って1人ずつその 行きたかった場所に旅行に行ってたって いう風になってるらしい行った人がその 団体を脱退するなんてことはないのか私も ねそれ思ったんだよなんか寂しくない みんなも言ったのに自分が最後になってあ もうお金ないですとかなったら自分だけ いけなかったとかでもなんだろうね やっぱりこう村同士の人たの話とかその 体距離が近かったからこそできると思うん だよねすごいなと思うその生活の 地気がつけば江戸通りを離れて国際通りを 歩いていまし たやがてこの 雷門1丁目交差点のところまでたどり着き ますここを外国人も日本人にもよく賑わう すごく人気な場所ですよねその右側行くと ちょうどあの東京が見える方面に行くと あの有名な 雷もがあり ますちょっと意味が変わったでも私たち まずそっちじゃなくて正反対のこの小さめ の通りに行きます渋い人だ ね合ってるねでもそっちに行く人なかなか いないんだよ ね おわ 綺麗思った以上に近くて思った以上に立派 待ってここから見ると富士山って大体どこ にあると思うあるとしたら見えるとしたら 左 かこれさ勝鹿北斎が書いた不学36系の絵 の1つもまさにその通りのシーンあそこね 屋根が大きく書いてあってでその左隣りに 綺麗な感じにちょっと小さめな形で富士山 が見えるっていう絵だったんだけどこの ままだしかもこの屋根ね白だったんだよ 立派ここから富士山見えてたことの方が 驚きかもああでもどうだろう多分見えてた 時は見えてたと思うけどその勝鹿北斎って 富士の美しさを引き立つために若干のそう いう構図とかそういったものを変えたりは してるらしいんだよねただ多分見えてたん じゃないかなこれね本寺で1600年代に 京都の東本願寺の人がここでお寺を建てた んだよね京都にもあるもんね駅前にそう そう前は別のところにあったけどその後 ここに移されて現在の経済の3.5倍 ぐらいの大きさを持ってて本当に巨大なお 寺ですごく賑わってたと 思うここが正面ないや正面ではないとと 思うよあてことは勝鹿北斎書いてたのは 正面じゃないんだね左隣に富士山が見え るってことはもうまさにこの辺りの構図 だったんだねもちろん場所とかは変わっ たりもしてる からご本道自体変わってるのかな土地は こうキュッとされてるけどどうなんだろう 本道のあの前みたいねすごい立 て装飾がすごい 立派さすが東本願寺だけあって異言は ねこれ全部木の装飾だの細かい ね想像以上の 希望ここね寺ラって検索すると不思議な ことに結構寺がいっぱい出てくるじゃん これね理由があってこの東本願寺もそうだ けど明暦の大下当時あの江戸の大部分 かなり消失したすごく大きな被災になって てでそん時街中にあったお寺なんかお寺が 原因で映されちゃってでお寺の中にある それランタみたいなものて結構思いやすく てあの街の外に映されたんだねで東粉河寺 も含めて映されてでなんで浅草だと思う ここねほぼ外だった川住田側を超えると もうそれはあの千葉県ま今の千葉県だっ たていう扱いなんだよねそうだからもう ここ端っこでここにいっぱいお寺が映され てこういう風におがたくさん立ち並ぶよう になった不学36系のすごいって言われ てるところはあの大体の絵にちゃんと彼て 位置情報書いてるんだけどいくつかない 場所があるんだよね例えば 外風呂て作ってるから面白いって言われ てるだからたまにはコーズって当時の人 どうやって見られたんだろうみたいな感じ になっちゃうんだよねさ次は戦掃除 ここ歩くと江戸時代の庶民料理全部集まっ てる1個は江戸時代人気だったのは ウナギもう1個はここね実はドジ鍋ドジ 食べるのってぐらいのレベルだけどここね まだお店があるんだよドジ食べれるところ あともう1つは意外なことに天ぷら時代 からの料理だって私思ってなくて知った時 にすごいびっくりした江戸の街のなんか 庶民っというかそのカルチャーソウル フードみたいな 感じそう大体今もそういうのって流行っ たりはするんだよね ここやっと見えてきた東本願寺までの距離 と浅草あの戦争寺までの距離全然違ってて びっくりしたこっちがなんか意外と長かっ た見てすごいねやっぱりここ番人気だよね 草 言っても過言では ないこれ右に風人左に雷人があるから風神 雷人 問中店通りも相変わらず賑わってるね いろんなお店たち並んでて食べ物も多くて それを狙ってる人もたくさんいてこれね実 は江戸時代から変わってないの 時代の時にここを掃除してたのはあの近隣 の人たちなのでその近隣の人たちにここを 見せ出していいよっていう風にあの許可 出されてでそこでいろんなお店を立てる ようになったのがきっかけと言われてるだ から江戸時代からここ盛り場だったと思う よたくさん食べ物集まって てここお昼だとだいぶ賑わってて多分人に よってはいやあのこういう賑わってる ところてよりはなんか静かに戦の美しさ 眺めたいなっていう人にとってはすごいお 勧めするのは夜の時間帯なんですよ夜の 時間ってすごく神秘的で明りもついてて 本当に綺麗なんですよしかも結構人 少なかったりするので綺麗なベスト ショットも 取れるなんでそういう風にあの時間帯選ん でいくと結構面白いと思い ますこの戦争寺の見所と歴史については また別の動画でもお話ししてるんです けれどもここに来たら雷門とこの次の門の 間にこういう風に素敵な看板と説明書きが あってこれはすごく見所おすすめです1個 ずつ書いてあるんだよこういう風にもう 最初の方からどうやってその戦争寺が発展 していったのということこういう風に2人 の兄弟があの仏様を釣っちゃったっていう こと でここ赤いもすごく楽しいんですけどこう いう風に歴史にも注目するとより面白いと 意外とこう見えるとこにあるのに気づか ないんだよね これ左に見えますのは江戸時代の見所の1 つですこのご のエドシっと言われてその4つのごの塔の うちの1つ1個もう1個はカそう カジしっかり当時現存してるのは上野のの 島でまあの一応の島としてちゃんと現存し てるのはもう1つこっちなんだよね昔 からってわけではない けど大きい ねここの超 スケールがやっぱりすごいねしかも赤 鮮やかですごく 綺麗京都いろんなお寺神社行ってるけど なんか京都とはまたちょっと雰囲気が違う よねなんだろうなんか江戸っぽい感じの 気軽さがあるのかね 分かるここ手をせる時に完全薩を言わなき いけないらしですぜひ手する時に行ってみ て ください戦争寺ってあの先ほど言ったよう にも別の動画で詳しく説明してるんです けれどもすごく歴史が古くてもう000年 以上の歴史を誇るお寺で多分東京最高なん じゃないかなと思う覚えてる限りだとえ きっかけは2人の兄弟があの観音菩薩の像 を釣っちゃってなのかよくわかんなくて1 回ペって捨てるんだけどまた戻ってき ちゃうんだよでまた捨ててまた戻ってき ちゃうからなんかこれ大事そうなものだ なっていうことで当時ここの土を収めてた 人に持っててその人えあの観音菩薩じゃ ないかってなって仏様じゃんってことでま 釣ったのがこのお寺の歴史の 始まりで確か覚えてる限りだとこの左側の ところにあのちょっとしたゲをやってる人 も江戸時代にいて見所の1つだったと 思う今いるのはここ戦争寺の五本道の ところなんですがこれから向かうのはこの お寺松山商店というところですそこね すっごく面白い野菜が大切にされてるなん だろう意外そんなものを大切にするお寺 ってあるんだてぐらいすごく珍しいもの 行こうか 行かご本道の裏にこういう風に面白く市川 団十郎さんの像があっ たそらそりそらそり回ってきたわ回って くる [笑い] わ 面白い9代目っていつ大正時代なん だ通りをまっすぐ歩いてこれちょうど橋が 見えるんですけれどもあそこも隅田川なん ですね今から左奥の道に曲がって先ほど 行ったお寺を見に行きますここすっごい 綺麗に東京スカイ釣りが見えて珍しく ないなんかあのポイントなのは結構何にも 邪魔されてないっていうほぼ開けて土台 までしっかり見えるっていう これもう2速目だよさっきも見てたじゃん 皆さん靴を落とさないようにご注意 くださいあついたついた書いてあるじゃん 松山正田正田は多分仏様の名前だと思う あえっと左から行けるか なそれっぽいねすっごい綺麗だ ね誰かのお屋敷かと思った 最初でこれはあの実は戦争寺の管轄の 小さなお寺なんだよねでここ山ま土山がま 山っていうか丘なんだよね東京の人あの昔 の時代の人にとって山結構規模が小さいん だけどなんかその山に竜が降りてその なんか土地を守ってたことからあの戦争寺 って3号は金龍山戦掃除そうそこから来 てる金龍山って金色の竜の山ここから由来 が来てるんだ ねこのもん鳥っぽく ない私最初本当に神社じゃないかなと思っ たんだけどまお寺なんねなんか鳥屋根が ついてるみたい難しそうなんだよこのあの 柱が立ってるのがすごい鳥らしいなと 思うあとさ上見るとこの竜の目なんか光っ てて見つめられてるような感じがしちゃう そかっこいいねちょっとうん りっぱこれちなみにものところに書いて あるのはま35松山っていうものなんです ねここのは松山と呼ばれててでこの土地が 間伐に見舞われたなんか605年とかその 時にここ仏様を安置してこのお寺ができ たっていう歴史があるらしい ですでさっき言ったようにこういう竜が ここを降りてあのこの土地守ってたという ことから戦争寺の3号は金龍山になっ てるここすごい面白い野菜が大切にされて るって言ったけど 見て 左でさらに右あのちちのところ人参 大根大根珍しくないあそこのちにも書いて ある珍しくないおタに入ったら大根見る ことて全然予想もしないよねこれねあの 大根ってこう清掃感があってで味もタパだ からま苦手な人は相当いないじゃん基本的 にみんなに好かれててでさらに言うとその 体内のそう独走を中和したりとかまあのな んだろうそう消化を助ける役割を持ってる 野菜っていうことからその仏様の働きに似 てるっていうことであのすごく大切なもの なんだよねここのお寺でこう1月にどう やらなんか大根祭りみたいなものやってて で っ てらし私ねしかもすごい真寺で野菜を買っ たことないからすごく買ってみたいんだよ ね味気になる絶対美味しいと思うよ確かに お守りじゃなくて大 200円確かに綺麗な大根だねお土産とし て東京から大根持ってたら家族びっくり すると思うんだよねどうしたのっ てでここはなんで出時代の観光スポットに なってるかというとあの言ったようにここ 奥があるから周りの景色見られるんだ ねここだね文人とかもよく着てたらしいで あの歌川ひしその東京のいろんな角度の 絵図で特に有名な人なんだけどその人も ここに来て絵を書いてたらしい そこも大根置いてあるご自由にお持ち帰り ください えどういうこと前日おいした大根においも にしたものを配布していますえ無料って こと無料だねどうぞごにお持ちください こういうところね私日本人のそういうがい 猫そぎ持ってかないからうんいやあの ウクライナの人だったら全員ではないけど 一部の人ももはや持っていけるだけの分 持っていくもう苦手の人でも無料って言わ れたら絶対持っていくんだよ普通に置い てる無料って不思議じゃねお寺に行って 無料で大根もらって手合わせて帰るなんか あの考えたこともない3拝の 仕方でもすごい綺麗な大根じゃ [音楽] ないありがとうございます本当に無料なの なんかあの気持ち程度のお金でも大丈夫 ですみたいなのもないの食べてみたいけど 無料ではさすがにちょっと申し訳ない気も するせっかくだから1個頂いてみる大きい のはさすがにちょっと難しいけどていうの もあのこれからの散歩の半分大根を抱っこ しながら歩くのちょっと恥ずかしい けどなんか食べてみたい な大お寺で大根もらっちゃっ たなんか言葉が出ないね初めての経験かも 日本に住んでても5年経ってるけどこれは もう絶対初めて だ見て上ちょうど屋根の 真下大根だね葉っぱまでしっかりついてる よ [音楽] 私正直にねはい感想がなんかあの出てこ ないんだよ今までいろんなところいて すごい感動しすぎてなかなか言葉にでき なかった時ってあるけどなんかここまで何 も言えないと初めてだねもうあの体験した ことねおに入って無料で大根いいてしかも 大根を大切にするお寺なんかあの結びつか ないやってることといてるとこそういや 面白いね東京にもこういう風ななんか ちょっと面白みのあるお寺あるんだなと 思った意外とわかんないよね非のホテル前 で 残る不思議だねどう思っ たに来 たでもあの大根絶対美味しいんだよね何を 作るかレシピ募集中1個は味噌汁だと思う けどあの大きめの大根だと味噌汁は ちょっとあの余りそうだなと思っ てこのお寺を見たところで続いての目的地 はこのちょっと通りが曲がってるところに ある吉原遊郭の跡 ですあ [音楽]

旅行って素敵ですよね!!!皆さんは旅行がお好きですか?😄

実は江戸時代の人々も私たちと同じように旅行を楽しんでいたのです!
そして旅行を楽しんでいたっていうことは、今と同じようにガイドブックがあったり、定番のツアーがあったりしていたのです🫢

今日は、そんな江戸時代のガイドブックと、当時大人気だった定番の回りかたを再現して、東京の観光をしてみます!どうぞ当時の人々の気持ちを想像しながら、東京観光に出かけましょっ♪🧳

1日目の動画はこちらから!👇
https://youtu.be/8SouLdPiTsc(前編)
https://youtu.be/E64E93pmzCo(後編)

2日目の動画はこちらから!👇
https://youtu.be/nSn7DE3EsAM(前編)
https://youtu.be/qej0jWYkYGA(後編)

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#歴史 #浅草 #江戸時代 #東京観光 #旅行

27 Comments

  1. 馬喰町なんかは時代劇の捕物帖テレビ番組なんかで良く聴いた地名でダリアさんのチャンネルはさう言った昔の記憶が蘇ってくる
    ダリアさんは「桃栗三年柿八年」って言葉知ってる?

  2. BS放送の町ぶらり歩きと同じクオリティを感じます。見聞録の楽しさには限界が無いですね。

  3. 酸っぱい梅の実。行くことのない場所でその由来などを知ることができてとても楽しく視聴しました。お寺などの説明書きを読んでいて凄いなと感心しきり。ありがとうございました。

  4. 駅舎の構造物に輸入レールが使われているのはトリビアでした。伊右衛門非公式キャラクターダリアさんがお下がり大根に言葉を失いましたね。

  5. ぜひ屋形船を利用してあげてください。コロナ禍では全く仕事ができずに関係者は本当に苦労したらしいですから…
    浅草の東本願寺が、葛飾北斎の『富嶽三十六景』のうちの一つとして描かれていたとは、知りませんでした。勉強になります。
    こちらも蘊蓄を少し述べると、言問と業平の地名の由来は、江戸時代の終わり頃、この辺りで団子を売り出す店があり、『伊勢物語』の中にある、在原業平作とされる「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の歌から名前をとって、「言問団子」としたそうです。すると、この「言問団子」が人気となり、その店の近く(墨田区の向島、隅田川東岸の地域)が言問という地名となりました。そして、その地域にかかる橋が言問橋となり、さらに言問団子を経営していた家族が近隣地域の土地を購入して、言問団子の由来となった歌の作者在原業平の名前をその土地の名称に採用した、とのことです。

  6. こんばんは!
    今回も拝見させていただきました。奉納した大根を配布していることはなんとなくわかりましたが、持ち帰り用に袋を用意しているところに、日本人の優しさを感じました。ありがとうございました。
    本日炎天下でしたが、成田祇園祭に行かれたのでしょうか?

  7. こんばんは😊
    今日も素敵なダリアさんを拝見して癒されてます。❤
    可愛い〜😊

  8. 本当に、勉強をしていて知っていますね。
    話を聞いていて、感心します。
    聞き流してください浅草で生まれ育ったので、
    ウナギ、どぜう、天ぷらと一緒に蕎麦を入れてくれたら、幸せです。
    浅草寺の隣に浅草神社(あさくさじんじゃ)があります。
    明治の神仏分離で残った珍しい神社だと僕は思うのですが。浅草神社に行ってみてください。
    長くなりますので講につい、調べてくだされば幸いです。

  9. 本来の江戸を代表する庶民の町に相当、詳しくなられましたね。お稲荷さんは、その庶民を守る神社なので、数が多いですね。町の再開発にあたり、撤去しようとしたら、再開発現場で事故が相次ぎました。場所は離れてますが、羽田空港の拡張現場では、ブルドーザーが突然、動かなくなったり。そこで、撤去せず移転することにしたら、どこの場所でも工事が進み始めました。新聞でも話題になってました。

  10. 今日も晴天に恵まれて絶好のお散歩日和ですね。夏らしい麦わら帽子がよく似合うダリアさんにエスコートされて出発します。いきなりの伊勢屋と稲荷と犬🐶の糞なんて言うウクライナ人はダリアさんしかいませんね。爆笑してしまいました。浅草見附も赤坂見附と同じで門番の意味だったんですね。明治時代のレールが天井に笑い話の様な話をテンポ良くサラッと語るダリアさん、噺家の素質が見え隠れ、浅草寺の仲見世の案内もひと味もふた味もちがう独特のわかりやすい口調でとても楽しい時間でした。
    ちなみにどじょうは今でも柳川料理の名前で日本人に愛されてます。😅💦

  11. 大根は、大根おろしですね。辛く無ければシラスと一緒に、辛かったら味噌や酢を、更に油揚げが有ると混ぜたら美味しいです(油揚げは、無くても辛みが緩和されます)。納豆ごはんに、辛い大根おろし(辛く無くても美味しい)をかけても美味しいですし、市販の乾麺のお蕎麦と、市販のつゆに大根おろしを入れても美味しいです。

  12. 江戸時代の足跡をたどる旅は面白いですね
    いつか富嶽三十六景の全ての場所に訪れてみてほしいです🗻😄

  13. ダリアさん、日本語が随分流暢になりましたね!,その上我々日本人も知らない歴史の裏側など大変いい内容ですね!これからも頑張ってレポートして下さい!楽しみにしてます。

  14. 大根かぁこの季節じゃ食べれなそうだね冷蔵庫に入っているのは入っているんだけれどそれにしても歩きますね体に良いですね

  15. 梅の実ぽいかな。
    相変わらずの博識、脱帽です。こんなにスラスラ話せるなんて素晴らしい!🤗

  16. 私は隅田川を渡ったところに住んでいます。
    先日、待乳山聖天にお参りをした時にお供えの大根をいただきました。
    動画が続くようですので楽しみにしています。

  17. 大根はまずは味噌汁でてね 大好きです 冬だったらおでんの具としても最高!

  18. ダリアさん、日本の歴史に興味を持ってくれてありがとうございます。いつも楽しく視聴させていただいています。
    待乳山ではお賽銭の代わりに大根を奉納していて、一定の期間は有償にしていますが期間を超えたものは無償として配っていただけます。ですので大根はありがたくいただいて下さい。葛飾北斎が近所に住んでいたり、吉原との関係性など歴史的に面白い場所です。ちなみに映像はありませんでしたが日本一短いケーブルカーは乗りましたか?
    また、今回のコース近辺では浅草橋近くの柳橋、蔵前に近い鳥越神社もお薦めです。

  19. 以前浅草に住んでたので懐かしいです😊
    そういえば大根まつりやってましたね

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