漫画「ちはやふる」の舞台。英主・天智天皇を祀る、かるたの聖地:滋賀県・近江神宮(Ōmi Jingū | Elegant shrine standing on the site of Otsu-kyo)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、参道
0:53 二之鳥居、手水舎
1:22 楼門
2:22 古代の時計
2:56 狛犬、外拝殿
3:43 内拝殿、本殿
4:12 書道、百人一首展示
4:35 栖松遥拝殿周辺
5:11 神座殿周辺

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は、かるたの聖地であり、更には大人気少女漫画「ちはやふる」の舞台の一つでもある滋賀県・近江神宮(おうみじんぐう)を紹介します。

近江神宮が鎮座している場所はかつて、第38代天皇・天智天皇が政(まつりごと)を行い、後に大友皇子と大海人皇子が争った古都・近江大津宮の跡地です。

近江神宮は昭和15年(1940年)に造営された比較的新しい神社ですが、20万平方メートルにわたる広大な神域を持っています。なかでも朱塗りの壮麗な楼門には、多くの参拝客が目を奪われることでしょう。

本殿と祝詞殿、内外拝殿が棟続きになっていて「近江造」、「昭和造」と呼ばれる建築様式をとっているのが特徴。これは近代神社建築の代表的な社殿として全国的にも有名になっています。

そんな近江神宮で祀られているのは天智天皇。天智天皇は第34代天皇・舒明天皇(じょめいてんのう)の皇子で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)という名の別名の方が有名かもしれません。

天智天皇は西暦645年に、藤原鎌足らとクーデターを起こし、皇太子として様々な改革を行ったことで小中学校の歴史教科書でも取り上げられるほどの有名人。この時行った改革は「大化の改新」として、こちらも有名な出来事として取り上げられます。

古代社会が不安定な過渡期にあるとき、天皇中心の体制を固めた中心人物が天智天皇で、主な業績に「近江令」制定などの法整備、初の全国的な戸籍作成、豪族の私有していた土地・部民を朝廷のものとする「公地公民」があって、朝廷の力を強めました。

また、漏刻の造営と時報の開始、学校教育制度の確立など、形を変えて現在に受け継がれる数々の施策を行ったことでも有名です。日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻などが設けられているのも、悠久の歴史を偲ばせてくれます。

天智天皇は、長い間皇位に就かず皇太子のまま称制していましたが、西暦667年に近江大津宮に遷都し、その翌年即位することになります。

天智天皇の近江における業績から、鎮座地・滋賀県大津市の人々からの崇敬は篤く、明治33年に始まった地元民による多数の請願と運動の結果、近江神宮の造営が始まり、1940年に近江神宮の歴史が始まることになります。

近江神宮が「かるたの聖地」として有名になったきっかけは、御祭神である天智天皇が『小倉百人一首』の第1首目の歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」を詠んだことによるものです。

昭和30年から近江神宮の近江勧学館において競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月に行われており、100畳の大広間での熱戦は大いに盛り上がります。また、漫画「ちはやふる」でも描かれた高校選手権の全国大会も開催されるなど、近江神宮は「かるたの聖地」としての地位を確立しているといっても過言ではありません。

漫画「ちはやぶる」ファンだけでなく、多くの人に参拝してもらいたい近江神宮。ここは神社の魅力がたくさんつまった名社だと思います。

Ōmi Jingū is a Shinto Shrine in Ōtsu, a city in Shiga Prefecture, Japan.

It was formerly an imperial shrine of the first rank in the Modern system of ranked Shinto Shrines.

The shrine is dedicated to Emperor Tenji (626-671), the 38th emperor of Japan. Emperor Tenji carried out the Taika Reforms and aimed to complete the reform in the capital city, which was located on the west bank of Lake Biwa. He moved the Japanese capital from Asuka to Ōtsu in 667. Emperor Tenji also presided over the establishment of the first rōkoku, or Japanese water clock system, which was installed in 671.

The proposal for this shrine to Emperor Tenji was first considered by Japanese Diet in 1908. The construction of the shrine started in 1937 and was finished by November 7, 1940.

Omi shrine pavilions were constructed by a method of Omi-zukuri, and it is listed in the Registered Tangible Cultural Properties of Japan.

4 Comments

  1. 近江神宮は行きましたよ⛩
    立派な神宮さんで、とても大きいですよね。
    カルタだけでなく時計にも関わりがあって、学校も併設されてますよね🕰
    来月あたりは七五三参りで賑わってそうですよね😊

  2. 音楽が、希望に溢れる音楽で、新鮮な気持ちで拝見できました✨

    なんだろう、、、。
    天智天皇がご即位される前のパッションは、今の日本へのメッセージのように感じました。

    諦めるな✨
    希望へ進め✨

    あくまでも、私個人が感じたことです。

  3. こんにちは😊去年の秋 滋賀県には1ヶ月近くいたのですか なぜか近江神宮へは行きませんでした 今日見せていただいて 最高🎉🎉ありがとうございます🙇🙇🙏🩵💙🙋

  4. 近江は戦国時代も大事な所でしたよね。近江神宮と近江八幡、混同してしまっています。
    琵琶湖周遊参拝の旅行きたいですね。

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